『週刊新潮』 2010年1月14日号
日本ルネッサンス 第394回
2つの国が領有権を争う領土について、それぞれ主張を展開するのは当然のことだ。しかし、日本政府はまず相手国の立場を度し、日本の立場を十分に主張してこなかった。そのツケは北方四島にも竹島にも明らかで、主張なき無策は必ず、尖閣にも影を落とすだろう。
昨年12月25日に発表された高校の学習指導要領解説書では、領土問題としての竹島の記載が見送られていた。学習指導要領はほぼ10年に一度改訂され、解説書も更新される。したがって、高校教育では向う10年間、韓国と領有権を争う竹島についての教育が不徹底になる可能性がある。
川端達夫文部科学大臣は、解説書を公表した日の記者会見で「竹島はわが国固有の領土であり、正しく認識させることに何ら変更があるわけではない」と述べた。
氏は保守派の政治家であり竹島を解説書に記載することは、氏にとっても文科省にとっても既定方針だった。にもかかわらず、蓋を開けてみれば解説書は一変した。日本が竹島の領有権を諦めたととられ、歴史的な汚点となりかねない解説書は如何にして生まれたのか。
日本政府の領土問題に関する発言や外交姿勢の及び腰は自民党時代からのものだ。学習指導要領とその解説書に、領土問題として明記されてきたのは北方領土に限定され、竹島はまったく触れられてこなかった。
他方、韓国の竹島不法占拠は年毎に昻じ、いまや警備部隊が常駐し、電話線が引かれ、郵便番号も住所も定められている。竹島を所管する島根県は思い余って05年、「竹島の日」を設けた。韓国の反発は凄まじかったが、島根県の動きは、改めて、日本人に領土や国土についての教育の重要性を気付かせた。こうした中、新学習指導要領の中学社会科の解説書に竹島を「我が国固有の領土」と明記するかどうかの問題がまず、持ち上がった。05年のことだ。
火に油を注ぐ生半可な配慮
文科省の立場は明確だった。05年3月に中山成文科相(当時)が新指導要領に明記すると答弁。しかし、3年後の08年2月、新指導要領案が公表されたとき、竹島の文字は消えていた。理由は、反日政策を掲げた盧武鉉大統領の後に、李明博氏が登場し、竹島問題の主張を控えることがより良い日韓関係の構築につながると日本政府が期待したからだ。
学習指導要領の改訂は解説書の更新を意味する。韓国は日本への働きかけを重層的に展開した。08年5月19日、韓国外相は駐韓日本大使を呼びつけ警告した。7月、洞爺湖サミットへの参加直前に、李大統領が共同通信と会見して「日本の指導者たちが無理に(竹島を)載せることはしないと信じている」と牽制した。来日した大統領は、9日、福田康夫首相と立ち話形式で短時間会談し、慎重な対応を求めた。韓国大統領府は、大統領が「深刻な憂慮」を伝え、福田氏は「十分に分かっている」と答えたと発表した。
国内では文科省が「我が国固有の領土」と明記すべきと主張し、外務省は反対に見送りを求めた。そして結論は中途半端なものになった。
08年7月14日に発表された解説書には、「我が国固有の領土」という表現はなかったが、竹島について、「韓国との間に主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要」と書き込まれていた。婉曲な表現ながら、初めて、竹島を領土問題として盛り込んだわけだ。日本の視点に立てば「竹島はわが国固有の領土」と書いて当然だが、そうは書かずに婉曲な表現をとったことについて町村信孝官房長官は、「日韓関係をぎくしゃくさせてはいけない」と説明した。
だが、このあと、日韓関係は「ぎくしゃく」どころか、大荒れとなった。李大統領は「断固たる措置をとる」よう指示し、柳明桓外相は駐韓日本大使を呼びつけて抗議し、駐日韓国大使を召還した。29日には韓昇洙首相が、首相として初めて竹島に上陸。30日には韓国軍が最新鋭戦闘機、F-15Kを含む大部隊を動員し「独島(竹島)防衛演習」を行った。
福田首相は解説書発表の直前まで、自ら文言をチェックし、韓国への配慮に努めたが、李大統領は8月15日に、「韓国が強い国になれば、日本が私たちの領土を不当に欲しがることもなくなる」と演説した。
日本が「竹島は紛れもなく韓国固有の領土です」とでも言わない限り、韓国側は納得しないのである。生半可な配慮は、むしろ火に油を注ぐ。
そして今回の高校用の学習指導要領解説書である。文科省は、大臣、副大臣、政務官の三役以下、中学用の解説書同様、竹島の記述は当然と考えていた。が、三役会議で提示されたのは、竹島を除外した案だった。
竹島の二文字が落ちたのは…
川端大臣が三役会議で、文科省としては不満だが、内閣の一員として上の決定に従うとの意思表示をしたのは、小沢一郎幹事長の訪韓時期と重なる12月中旬だと思われる。小沢氏は中国訪問後、12月11日夜にほぼ単独で韓国入りした。李大統領と2人だけの非公式会談の内容は非公開である。韓国側が通訳を務めたために、日本政府は小沢氏が何を語り、何を聞いたかも把握出来ていない。だが、その席で、李大統領がかねてより関心を示していた外国人参政権、天皇陛下御訪韓などとともに、高校指導要領解説書問題に触れた可能性は大きいと見るべきだろう。
したがって、小沢氏が李大統領の要請を受けて影響力を行使し、解説書の内容を大幅に変更させた可能性は少なくない。一方で、元凶は鳩山由紀夫首相その人だとも考えられる。首相は11月15日、シンガポールでのAPEC首脳会議で、李大統領と歩きながら短時間、2人だけの会話を交わしている。そのとき、李大統領が、「教科書の件、重要ですので宜しくお願いしたい」と述べ、鳩山首相が「分かっています」と答えていたことは取材で確認出来た。
小沢、鳩山両氏との会談が、解説書問題で12月の発表を前にした重大な時期であることを李大統領は意識していただろう。大阪生まれで日本人の感情の機微にも通じている大統領だけに、その説得が功を奏したと考えて、ほぼ間違いないだろう。つまり、最終的に竹島の二文字が落ちたのは、小沢、鳩山両氏かまたはいずれか、民主党トップの「政治決断」ゆえだったと考えてよいだろう。
自民党はそれでも竹島の二文字をどうにか書き込んだ。民主党はそれを水泡に帰しかねない決定をした。一方韓国では、12年からの中学社会の解説書で竹島について「日本が継続的に国際紛争に訴えようとする意図を分析し、領土を守る方法も考える」とし、生徒たちに具体策を考えさせるよう踏み込んでいる。
国益を害する点において、民主党外交の罪は重いのである。
『週刊新潮』’09年3月5日号
日本ルネッサンス 第352回
日本は、38万平方キロの領土面積を基準にすれば世界で61位だが、領海と排他的経済水域(EEZ)を足せば447万平方キロ、世界第6位の海洋大国だ。広大で豊かな海の存分な活用が、日本の未来の安全と繁栄に欠かせない。だが、その海を中国が猛烈に侵しつつある。
昨年12月8日、中国海洋調査船2隻が、尖閣諸島に3.5キロまで迫った。この明白な領海侵犯に対して、海上保安庁の巡視艇が即時退去を要求したが、中国船は9時間半も居据わった。同事件を機に、日本側はヘリコプター搭載の大型巡視艇を同海域に常駐させることを決定。その決定が報じられると、中国外務省の姜瑜報道官が直ちに反発した。
「釣魚島(尖閣諸島)とその付属島嶼は古来、中国固有の領土であり、中国はこれに争う余地のない主権を有している。同島の実効支配を強化する日本側のいかなる動きもすべて中国の領土主権を侵害するもので、不法かつ無効なものであり、直ちに中止すべきだ」
10日には、中国外務省が北京の日本大使館に「(日本側が)警備を強化すれば、中国側は強い関心を示すことになる」として、「厳正な交渉」を申し入れた。つまり、黙ってはいない、断固たる対応策をとると、伝えてきたのだ。
また、中国国家海洋局の孫志輝局長は2月16日、海洋局関連会議の席で、昨年12月の中国海洋調査船の尖閣諸島への接近と日本領海への侵入は、「実際の行動で中国の立場を示した」のであり、中国の主権を主張することが目的だったと報告した。同局長は2008年、中国が主権を主張する海域で展開した船は延べ200隻余り、航空機は140機余りに上った旨も報告した。
中国は自らを海洋大国と定義し、21世紀の中国の発展は海洋及び宇宙への進出によって担保されると考える。結果、日本のみならず、ベトナム、フィリピンなどアジア諸国への示威行動と実力行使で、他国の領海、領土を中国領へと、実効支配を以て変えてきた。それを可能にしたのが、多数の船と航空機の展開なのだ。
海保のオンボロ船
だが、日本こそ真の海洋大国だ。日本の安全と繁栄は確実な海の守りが大前提で、その最前線に立つのが海保と海上自衛隊である。だが双方ともに、強大化する中国の海軍力とは反対に、予算の減少に泣き、船も航空機も大いに不足している。たとえば、海保の巡視船・艇約350隻、航空機約70機の4割が耐用年数を超えて老朽化しているのだ。
巡視船「なとり」は32年前の船だ。上甲板が腐食し、無数の小さな穴が開いて破れそうに見える。船齢28年の巡視船「ひたち」はなんと燃料タンクの腐食が進み、目視出来るほどの穴がある。船齢33年の巡視船「まつうら」は主エンジンにつながる配管が腐食してボロボロだ。
これで、日本の海を侵犯する外国船の脅威に対処せよとは、現場の隊員が気の毒だ。それでなくても海保の船の能力不足が指摘されてきた。連想するのは1999年3月、北朝鮮の工作船2隻が能登半島沖に侵入したときのことだ。結論からいえば、あのとき、海保は対応出来なかった。海保は巡視艇15隻、航空機12機で追跡したが、工作船は速度を上げて逃走を続け、海保の船は追いつけず、追尾を諦めたのだ。代わって追尾したのは海自の艦艇だった。
それにしても海保の船はなぜ、こんなに老朽化しているのか。外国の海上保安機関と比較すると原因の一端が見えてくる。情報非公開の中国とロシアを除き、米国、韓国、台湾との比較を見てみる。
まず、予算である。海保の予算のGDPに占める割合を1とした場合、米国は22、韓国は3.6、台湾は3.1である。米国の予算が思ったより少なく思えるかもしれないが、米国には世界最強、最大規模の海軍がある。その海軍に守られていてさえ、沿岸警備に日本よりはるかに多くの予算を、米国は割いているのだ。
EEZ10万平方キロあたりの船艇数は、日本を1とした場合、米国2.4、韓国5.8、台湾3.2である。EEZ10万平方キロあたりの航空機の数は、日本1、米国1.6、韓国2.1だ。海岸線1キロあたりの隊員数は、日本1、米国6.6、韓国13.7、台湾26.7である。
海保の予算、船、航空機、人員、すべてが不足なのだ。だが、自衛隊と海保の役割分担の異常さも見なければ、海保を取り巻く状況の真の厳しさは見えてこない。
戦後日本ではずっと、自衛隊を雁字搦めに縛りつける政策が続き、本来海自が果たすべき役割であっても海自は遠ざけられ、代わりに海保が駆り出されてきた。結果として海保にとっては恒常的に過剰負担の状況が続いている。
「道路局」には6兆円
たとえば領海警備だ。他国ならば平時から海軍が領海を警備する。日本は海自を封印し、海上で犯罪が発生した場合に、海保が出動する。尖閣諸島周辺の領海に常駐するのも海保の船だ。同海域には時として中国海軍の軍艦が遊弋する。中国の軍艦に睨みを利かせ得るのは海自であって海保ではない。ソマリア沖の海賊退治にも当初、海保の派遣が検討された。国際社会では、犯罪集団としての海賊への対応は海軍の出動が大前提だ。
日本ではこうしたことのおよそすべてに、まず、海保が出される。にも拘らず、海保の予算、装備、人員は、先に見たように、著しく貧弱だ。
たしかに海保は、現在、老朽船を順次新型に替え、情報通信システム等の整備も進めつつある。だが、その整備の速度も規模も、日本周辺海域の緊迫度に較べれば遅々たるものだ。新型への更新の緊急整備予算は少なくとも3,800億円が必要だと見積もられているのに対し、手当されているのは2,000億円だ。
航空母艦の建造を発表し、海軍大国への道を明確に歩み始めた中国は、尖閣領有権を主張して止まず、その主張を尚、強めつつある。日本は外交交渉の柱としても、海保と海自双方の力を急ぎ整備しなければならない。にも拘らず、なぜ、海保の困窮状態は改善されないのか。
海保を所管する国土交通省の考え違いもその一因ではないか。海保の年間予算は1,858億円。船が腐食し、緊急整備予算も十分に手当してもらえないとき、同じ国交省の道路局には、毎年特別会計から6兆円余りもの資金が流れ込む。海保の船や航空機の老朽化にまともに向き合わず、領土領海の侵犯に目をつぶり、道路局ひとり甘い権益を貪り続けているわけだ。国家政策の重要性と優先度についての判断が出来ていないのである。日本国全体として海保と海自の役割分担など取り組むべき課題は多いが、国交省自身、自分の足下から国益に基づいて政策と予算配分を改善していく必要がある。
『週刊新潮』’09年1月15日号
日本ルネッサンス 第345回
日本の政治的不安定を嘲笑するかのように、中国政府は、1月4日東シナ海のガス田「樫」(中国名・天外天)の掘削は「中国固有の主権の行使」と宣言した。また、昨年末には、東シナ海においては「実効支配」こそ必要で、「今後、同海域の管轄を強化する」と発表した。
いま、どんな強硬策をとっても、政治的混乱の続く日本は手も足も出せないと、中国政府は踏んでいるのだ。軍事的にも、日本は中国に対して手も足も出なくなりつつあることを、中国は十分認識しているだろう。日本に対する軍事的優位は、彼らが現在進めている航空母艦の建造によってさらに強められる。
1月5日の『産経』は中国軍が今年から初の国産空母の建造を本格化させると伝えた。旧ソ連から購入し、改修した空母「ワリャーグ」と合わせて、3隻体制で空母を基盤とする軍事大国としての新たな一歩を踏み出すとみられる。
さらに深刻なのは、これら政治的、軍事的要因に加えて、日本が精神的要因によって中国に手も足も出せないでいることだ。日本は中国を侵略した、戦争責任は中国にはなく、すべて日本にあるとの考えゆえに、たとえ政治的、軍事的に力が整っていたとしても、中国に精神的に立ち向かうことが出来ないのだ。
だが、はたして中国は100%の被害者だったのか。現在の中国は、何が何でも領土領海を拡張し、資源を獲得しようと躍起である。それが日本固有の領土領海であり、日本に属する資源であっても、お構いなしだ。彼らのこの侵略性はいまだけの性格なのか。かつて゛一方的被害者″だった中国は、戦後どこかで豹変していまの侵略性を身につけたというのか。
中国とナチス・ドイツ
そうではない。中国はかつても戦争を熱望していた。日中戦争は日本よりも、むしろ中国が望んでいた。中国は日本よりも戦争をしたがっていた。こう強調するのは林思雲氏だ。氏は北村稔氏との共著『日中戦争』(PHP研究所)で書いている。
「当時の(つまり、1920年代から30年代の)日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう」と。
氏はさらに続ける。
「日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変である。そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである(この日、蒋介石は上海に駐屯していた5千人余りの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)」
中国の主戦派は以下の理由で対日勝利を確信していたと林氏は指摘する。①中国軍は人数において優る(中国陸軍は191個師団、加えて1,000万人の徴兵が可能だった。日本は17個師団、兵力は25万、徴兵は最大で200万人)。②日本は資源が貧弱で、中国の「寄生虫」にすぎないから、経済断交によって容易に日本を締め上げることが出来る。③列強諸国は中国側に立っている。
にも拘らず、たとえば06年8月13日放送のNHKスペシャル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したのか」などに見られる日本側の歴史解釈は、日本の主戦派にのみ責任を帰結させ、中国側にはなんの関係もなかったとする。そこには、「傲慢さが含まれている」と林氏は断ずるのだ。
日中戦争は、決して日本の主戦派だけが遮二無二進めた侵略戦争ではない、むしろ中国が望んだ戦争だったという刮目すべき氏の指摘は、当時の中国社会、国民党、共産党、コミンテルンの動きなど幾多の具体的な事実によって支えられている。
『日中戦争』には、もうひとつ、中国とナチス・ドイツの相互扶助という驚くべき事実が描かれている。
同書第3章の北村氏の記述をざっと纏めてみると—-。日中戦争勃発以前からドイツは国民党に多くの軍事顧問を入れ、駐華ドイツ大使のトラウトマンは活発に日中仲介に動いた。これらの事実は周知だが、この和平斡旋の背景にナチス・ドイツと中国の軍備刷新をめぐる驚くべき緊密な関係が存在したというのだ。
1920年代後半から蒋介石はドイツから武器装備を調達したが、1933年、ヒトラーが政権を握ると、中独武器貿易は急増した。前述した上海の日中攻防に、ドイツは74名の軍事顧問を派遣し、中国軍をドイツ製武器で武装させ、ドイツ式の防衛陣地を築かせて、日本と戦った。ドイツの軍事援助の見返りに、中国は自国のタングステンなど希少金属を提供したというのだ。
日中両国の逸史
タングステンの硬度は非常に高く、武器製造に欠かせない。ドイツにタングステンは産しないが、中国は現在でも世界産出量の9割を誇る。北村氏が強調する。
「国民党政府が提供したタングステンがドイツの軍需産業を支えたのであり、これにより生み出された軍事力がヨーロッパでのドイツの勢力拡大を可能にした」
ヒトラーは1936年に中国に1億マルクの借款を与えた。中国は同借款を活用し、5年間、毎年2,000万マルク相当の武器を購入。一方で、10年間にわたって毎年1,000万マルク相当分の鉱物資源をナチス・ドイツに提供すると合意した。
中国とナチス・ドイツのこの緊密な協力関係は、中国側の歴史資料では殆ど扱われていない。理由を北村氏は、「『日本のファシズム』を抗日戦争により打倒したと主張する国民党には、『日本のファシズム』の盟友で『歴史の罪人』となったナチス・ドイツとの親密な関係は、第二次大戦後には『触れてはいけない過去』になった」からだと、解説する。
一方、この事実が日本で殆ど取り上げられてこなかったのは、日本の歴史研究では「『日本の侵略戦争』を批判することが大前提」となっており、その「大前提に立つ限り、『日本の侵略戦争』と戦った中国の国民政府がナチス・ドイツの軍需産業の発展に大きく貢献し、この軍需産業の発展がナチス・ドイツのヨーロッパ侵略の原動力となった事実は、『説明できない歴史の皮肉』である」からだと喝破する。
日中戦争はひたすら日本の侵略戦争だったという日本に蔓延する見方が、どれほど偏ったものかを痛感させられる指摘である。年毎に明らかにされる一連の事実を正視し、全体像を踏まえた歴史認識を身につけることが、日本にとっての急務なのだ。
中国は、かつてそうであったように、日本を圧倒する力を保有すると、彼らが思い込み始めたいま、何が何でも攻め、戦うという姿勢を崩さない。日本人の私たちは、いい加減に目を醒まし、中国の本質を肝に銘じるときだ。
週刊ダイヤモンド』 2008年1月10日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 771
2009年は日本にとって覚悟の年になる。日本の浮沈をかけた懸命の改革が必要な年だ。まともな独立国として、まともな外交政策を推進できない場合に日本が直面する事態を、潮匡人氏が『やがて日本は世界で「80番目」の国に堕ちる』(PHP研究所)にまとめた。
元航空自衛隊員の氏の、具体例に支えられた分析には強い説得力がある。氏は、現在の日本がまともな国といえないのは、外交と軍事が表裏一体であることを忘れてしまっているからだと、喝破する。さらに外相・陸奥宗光の名著、『蹇蹇録(けんけんろく)』から、「兵力の後援なき外交はいかなる正理に根拠するも、その終極に至りて失敗を免れざることあり」の指摘を引用し、日本の現状への警告とする。
08年の年末に起きた事態からも、軍事力なき日本の外交の心許なさがうかがえる。12月8日に尖閣諸島からわずか3.5キロメートルの日本の領海深くに、中国の海洋調査船が侵入し、日本政府の抗議にもかかわらず、中国外務省が同海域での「実効支配」が必要であり、今後、「同海域の管轄を強化する」と発表したことは、12月20日号の小欄でお伝えした。
12月23日には、中国国防省が航空母艦の建造に取り組むことを初めて明らかにした。中国人民解放軍はすでにテスト艦載機の発注なども行なっており、空母建設の準備はかなりの程度、進んでいる。空母建設の理由を、国防省の黄雪平報道官はこう語った。
「中国には広い沿海部がある。領海主権と沿海部の権益を守ることは中国軍の神聖な職責だ」
中国はまた、海賊対策としてソマリア周辺海域とスエズ運河に通ずるソマリア北部のアデン湾に海軍艦艇を派遣すると発表した(「産経新聞」野口東秀記者、12月23日付)。
中国政府は軍艦派遣について、「国連安全保障理事会決議と国際法の厳格な遵守」を公約した。他方、中国国防大学の専門家は、今回の派遣は外洋作戦の経験が乏しい中国海軍にとって、指揮系統と補給系統の合同作戦の演習になると語り、派遣の実利に言及した。
空母建設も、ソマリア沖への海軍の派遣も、中国が海洋国家として力を発揮し、大国の位置を得て、米国を牽制する能力を保有するためであろう。
外交はまさに軍事力によって支えられる。その事実がきわめて明らかなかたちで日本に突きつけられているのが尖閣諸島の事例である。
ソマリアへの艦隊派遣では、国際法の厳格な遵守を宣言した中国政府だが、日本との関係においては「海上の境界線は中間線を原則とする」という国際司法裁判所の判例をいっさい考慮しないのである。大陸棚の延長上に尖閣諸島も東シナ海もあるのだから中国領だとの主張を変えない。結果が一二月八日の領海侵犯と開き直りである。
日本政府の抗議は口頭にとどまる。日本は、すでに領海侵犯を繰り返し、それを当然の権利だと主張する中国に対して、実質的になにもできない状況に陥っている。軍事力を背景にした中国の対日外交に、もの言えぬ国となっているのである。
日本の頼りは米国であろう。だが私たちは、米国でさえ中国の力を無視できずに、いまや、台湾が必要とする自衛のための武器装備を、中国の意向を聞きながら、輸出したり止めたりしている事実から目を逸らせてはならない。あえていえば、台湾は米中両国の合同管理の下に置かれているのである。
日本が、米中合同管理体制への従属を避ける道はたった一つだ。外交と軍事は一体であることを認識し、自衛隊を国軍とすること。そのために、集団的自衛権の行使を可能にし、危機のときの武器使用の規程を定めることである。独立国として、軍事力で外交を支える体制をつくれるか否かが、日本の未来を大きく分けることになる。
『週刊ダイヤモンド』 2008年12月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 769
米国ではオバマ新政権の誕生を前に、すでに新しいアジア政策が進行中だ。その特徴は際立つ親中国政策である。有力シンクタンクの一つ、ピーターソン国際経済研究所所長のバーグステン氏は、先進八ヵ国首脳会議(G8)に代わって米中が二ヵ国会議(G2)を主催し、世界の重要事を決めるべきだと主張する。バーグステン氏は、国際通貨基金(IMF)も国連も機能しないからG2が必要なのであり、G2体制の下で、場合によっては日本やEUに相談することもあるというのだ。
米中によるG2形成は実質的に進行中である。2006年から始まった米中戦略経済対話もその一例であろう。年二回の頻度で、すべての経済担当省庁から閣僚レベルの代表が参加し、対話の席には、主催国側の首脳、米国ではブッシュ大統領、中国では胡錦濤国家主席が参加する。
ポールソン米財務長官はこのG2を支持し、「米中両国が共有する利益に導かれて団結する」ことが重要で、「両国関係の基盤を単なる協調から共同運営へと進化させて、最終的には純粋なパートナーシップとして開花させていく」ことを目指すと述べている。
米中緊密化が進むなかで起きた金融危機は、相対的に傷の浅い日本にとって本来、好機なのである。しかし、就職の内定取り消しや、大企業のリストラなどが報じられるたび、政府も民間企業も国民も、後ろ向きかつ内向き志向になる。だが、しっかり考えさえすれば、日本の余力をもって反転攻勢をかけることができる。そのことに目を向けないのはどうしてだろうか。
たとえば中国はいったい何をしているだろうか。中国の受けた傷は日本よりも深い。中国で展開する驚くほどの数の企業が、リストラではなく、次々と工場などを閉鎖しているのである。その最中、中国共産党と国務院(中央政府)が来年の経済運営の基本方針を決める中央経済工作会議を八日から開いた。そこでは人民元の対ドルレートの切り下げが論じられた。
中国人民元は、むしろ切り上げられるべきなのだが、彼らは輸出振興のために切り下げを模索しているのだ。
中国の産業の多くは、付加価値が非常に低い。中国独自の技術を誇れるものは、今のところ、多くはない。輸出における最大の強みは価格の安さである。人民元が高くなればなるほど、すぐに行き詰まる。そのことを十分に認識しているからこそ、中国政府は人民元安に持っていきたいのだ。
ポールソン長官は、そのような中国に対してきわめて寛容である。氏は、05年7月から08年6月半ばまでの約3年間で、人民元は名目20%、実質23%切り上げられたとして、高く評価する。かつて、プラザ合意で1ドル238円から、最終的に79円まで、じつに約300%の切り上げ攻勢を体験した日本は、氏の偏ったと言わざるをえない対中評価は、米国の中国傾斜の度合いを示すものとして、心に刻んでおくべきであろう。
中国政府は元安誘導に加えて、尖閣諸島と東シナ海問題で対日強硬策を採りつつある。中国側は12月八8日、尖閣諸島周辺の日本領海を九時間半にわたって侵犯したうえ、同海域での中国の「実効支配」の実績が必要であり、今後、「同海域の管轄を強化する」と発表した。
経済成長が鈍れば、天地ほども開いた格差に憤る国民の不満は暴発しかねない。暴発を抑制するには、元安で経済を守り、吸収し切れない不満は対日強硬策で発散させる構えでもあろう。
だが、国内の不満の強弱にかかわりなく、尖閣諸島と東シナ海の実効支配を狙う中国政府の意図は変わらない。尖閣諸島への中国軍の上陸もありえないことではない。領土防衛に全力を注ぐべきこの時期に、自民党も民主党も、政局に明け暮れていてはならないのである。
『週刊ダイヤモンド』 2007年12月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 718
2002年4月に、発足一年後の小泉純一郎政権の評価を誌上座談会で問われたことがある。出席者は京都大学の中西輝政教授、経済アナリストの森永卓郎氏、それに私の三人だった。
福田康夫首相が訪米してブッシュ大統領と会談し、シンガポールでの東南アジア諸国連合の首脳会議で中国の温家宝首相とも首脳会談を行なった今、あらためて五年前の座談会を読み直した。驚いたことに、三人とも「特優、優、良、可、不可」の五段階で福田氏に「不可」の最低評価を下していた。
当時の福田氏への評価は、極端に二分されていた。「不可」の落第点とは対照的に、非常に高く評価する人びともいた。理由は“手堅い”“失敗しない”“官房長官としての会見でボロを出したことがない”などというものだ。
確かに福田首相は、官邸での“ぶら下がり”会見を見る限り、若い記者たちをよくコントロールしている。その手並みは、たとえば安倍晋三前首相とは比較にならない。
かといって、日本の国益に基づいて国際社会を“コントロール”できているかといえば、答えは明らかだ。ブッシュ大統領との会談では、首相は日本にとっての重大案件である拉致問題を自分から持ち出すことはしなかった。問題を切り出したのは、ブッシュ大統領だった。
なぜ、ブッシュ大統領は拉致問題を切り出したのか。日米首脳会談に先んじて、平沼赳夫氏ら拉致議連の代表と家族会の皆さんがワシントンの有力上院・下院議員、シンクタンクを訪れ、「米国が実行しようとしている対北朝鮮、テロ支援国家の指定解除は間違っている。北朝鮮のテロ活動は続行中だ」と主張したからにほかならない。
保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズなどでの訴えが、大統領に報告されていたと思われる。
一方、福田首相は、水を向けられたにもかかわらず、明確な主張を展開していない。
相手とのあいだに意見の不一致や摩擦を起こすような問題については、なるべく触れないという姿勢は、温首相との会談でも同様だった。日中関係は今、微笑に彩られ、深刻な問題はあまり話題にされない。かといって、問題は解決したわけではなく、厳然として存在し続けている。
その一つが、東シナ海のガス田開発である。
温首相との会談で、福田首相はこの東シナ海のガス田問題についてもほとんど主張していない。11月17日の「産経新聞」では、それより三日前に東京での日中協議で、日本側が協議の停滞を理由に試掘を示唆した際、中国側が「試掘なら軍艦を出す」と発言したと報じた。日本が東シナ海でガス田の試掘を実施するなら、中国は軍事力でこれを排除する、つまり、戦争も辞さないと言っているのだ。この真偽を確認するために取材をしたら、官僚たちは中国をかばって、日本への恫喝があったことを否定した。
だが「産経」は23日、再び報じた。安倍政権下では、中国側の譲歩がなければ、今秋にも試掘に入る準備として漁業組合などと交渉を始める予定だった。福田首相は方針を変えて、試掘の準備はしないことを決定したというのだ。さらに注目されたのが、同紙が、軍艦を出すとの中国側の発言は、じつは一度や二度でなく、「複数回」あったとしている点だ。
官僚は滅多なことでは情報を出さない。いわんや、親中派の福田政権下では、日中関係に負の影響を及ぼす情報は出てこなくなる。そうした状況下で「産経」が二度にわたって報じたのは、それを真実だと信じられる情報を持っているからだ。かつて官房長官としての福田氏を「不可」と断じたが、首相となり日本を代表する立場に立った今、日本のために主張できない福田氏は、やはり「不可」のままである。
『週刊新潮』 ’05年6月30日号
日本ルネッサンス 拡大版 第171回
沖縄といえば、基地の街、反戦反基地の印象が強い。しかし、その沖縄でいま、微妙な変化が生じつつある。基地の過重負担は絶対に受け容れられないが、国際社会に生れた新しい潮流をとらえ、沖縄の将来展望を描きたいという意識である。政府が合理的な国防計画を示し、日米両国の在沖縄軍事力が総体として減少するのなら、沖縄は自衛隊の駐屯をより大きな規模で受け容れることも可能とする考えだ。後に詳述する下地島空港への自衛隊の駐留も前向きに考えられるというのだ。
だが、昨年12月、稲嶺惠一知事は、私の取材に対し、下地島の自衛隊使用は「絶対に反対です」と明言した。沖縄県の真意ははたしてどこにあるのか。方針転換はなされたのか。方針が変わったとすれば、それはなぜなのか。また、下地島空港の活用は、東シナ海で増大する中国の脅威に対してどのような戦略上の意味を持つのか。6月上旬、改めて沖縄を訪ね、下地島を見てきた。
沖縄本島から南西に300キロ、20分余り飛ぶと宮古(みやこ)島がある。同島から北西に4キロ、フェリーで15分の所に伊良部(いらぶ)島がある。
伊良部島は下地島と隣接しており、2つの島が伊良部町を構成する。人口6,800人余の、美しいこの町が注目を集めるのは、下地島空港にある3,000メートルの滑走路だ。
小さな町には不釣合な程立派な滑走路は、79年に完成した。軍事利用を嫌う沖縄県の強い反対で、民間目的以外には使用しないとの覚え書きが国と交わされ、日本唯一の民間航空パイロットの訓練飛行場となった。が、パイロットの訓練にはコンピュータによるシミュレーションが導入され、下地島の滑走路はその利用価値を低下させてきた。訪れた日、滑走路には人影もなく、静まりかえっていた。
下地島とは目と鼻の距離にある尖閣諸島周辺海域には、今年1月、中国海軍の最新鋭ソブレメンヌイ級のミサイル駆逐艦が遊弋(ゆうよく)した。6月21日には台湾もフリゲート鑑「鳳陽」を派遣した。尖閣諸島海域の資源をめぐって日台中3カ国の緊張は、いまこの瞬間も続いている。
緊張の海を眼前にする下地島の安全保障上の価値をどう判断すべきか。政府関係者は意外なことを述べた。
「下地島は沖縄本島から300キロ離れており、米海兵隊のCN46ヘリは航続距離が250キロ程です。辿りつけない。したがって在日米軍も米空軍もあまり興味をもっていない。日本の海自にとってはP3C哨戒機の中継基地としての価値がありますが、戦術的には必ずしも、ベストではありません」
一方、同島の重要性を軽視してはならないと説くのは、杏林大学総合政策学部教授の平松茂雄氏だ。
「沖縄から尖閣諸島への距離と中国・福建省から尖閣諸島への距離は大体400キロで同じですが、現状は圧倒的に日本不利です。那覇の自衛隊に配備されているのはF4ファントム、中国はスホーイ(SU)27戦闘機やSU37戦闘機を配備しています。日本のF4戦闘機は尖閣諸島まで飛べるけれど、わずかな時間しか滞空出来ない。中国の戦闘機は十分に尖閣諸島を制空出来る能力があります」
尖閣諸島に最も近い所に基地をもつのは台湾である。石垣島─尖閣諸島間の距離は台湾─尖閣諸島間とほぼ同じだ。日本にとって石垣島に航空自衛隊の基地を設けるのが、領土領海を守るためには最善だが、それが無理なら下地島の空港の活用でかなり有利な立場に立てると平松教授は指摘した。
下地島空港への評価は人によって異なっても、同島の地理的位置が日本の領土保全に有用であるのは間違いない。また、当の下地島、伊良部町にとっては、死活的な意味がある。
失われた国としての視点
現在同空港では年間約1,000時間の飛行訓練が行われているが、日数に換算すると約100日から150日の利用となる。つまり年に200日は利用されていないのだ。伊良部町には約3億円の赤字があり、財政は厳しい。経済振興策が必要で空港活用には大きな意味がある。こうして自衛隊誘致の動きが生れてきたのだ。
しかし、町議会で展開された自衛隊誘致の動きは結果として頓挫した。顛末を今年5月25日「消えた自衛隊誘致 小さな島の選択」という番組で琉球放送が報じた。話を統合すると、小さな町の大きな混乱は3月16日の伊良部町議会で表面化した。下地島空港への自衛隊誘致の決議案が9対8で可決されたのだ。その2日後、同町議会は再び、進行していた宮古地域6市町村の合併協議からの離脱を決議、可決した。民間企業の誘致が難しいなかで、彼らは自衛隊誘致による町の経済発展に賭けたといえる。合併すれば他の自治体の反対で、自衛隊誘致が難しくなると判断したのだ。
ところが、一連の動きは住民への十分な説明なしに行われた。反対派の住民の怒りは大きく、3月24日、町民集会が開かれた。琉球放送は住民6,800人余の半分以上の3,500人が集まったと伝えている。集会には18人の町議全員が参加したが、自衛隊誘致に動いた町議らが糾弾された。彼らは、全ては島の安全と町の財政安定のためであると訴えた。災害時には自衛隊は命がけで救助活動をやってきた、伊良部町は自衛隊反対の気持は強くはない、むしろ誘致によって振興策が期待されると説明した。
だが、住民らは納得せず、遂に、自衛隊誘致も、市町村合併離脱も、白紙撤回するとの結論が打ち出された。
地元の琉球放送は、一連の動きの背景に本土勢力が存在すると伝えたが、自衛隊誘致の試みはそれだけでは説明出来ない。事情は複雑なのだ。たとえば、伊良部町の浜川健町長は、4年前、自ら自衛隊誘致を国に要請した人物だ。町議会は当時全会一致で誘致を要請した。だが国は動かず、要請は宙に浮いたまま4年がすぎ、町長もすでに反対の立場に変わった。
振興策と基地問題が複雑に絡み合い、その時々の状況で人々の考えも立場も変わると見なければならない。そして何よりも沖縄には基地の重い負担を引き受けてきた歴史がある。その負担が心に刻まれている。今、伊良部町に行ってみると、市町村合併に伴って行われる10月1日の首長選挙で話題はもちきりである。テーマは財政であり、振興策である。東シナ海、日本の領土領海の安全に関して重要な意味をもつ下地島空港の問題は、伊良部町の手を離れ、市町村合併の結果生まれる新自治体の課題となるかに見える。
沖縄県副知事の牧野浩隆氏は、下地島空港の一件は、ひとり伊良部町だけの問題ではあり得ず沖縄県の問題だと明言する。
「いま、米国の戦略が変わりつつあります。米軍再編は、沖縄駐留の米軍の規模の縮小につながります。我々は日米安保に反対でも、基地の過重負担を問題にしているのです。だから自衛隊と米軍の軍事力が総体で減っていくことが重要です。米軍削減のあとを自衛隊が補完し、結果として軍事基地の規模が縮小していくのであれば、理解出来ます」
イデオロギーの呪縛
県の政策参与、比嘉良彦氏も語った。
「米軍再編を支える合理主義を日本もとりいれればよいのです。一番よいのは、7年とか10年の単位で米軍を自衛隊に置きかえることです。我々は日米安保を否定しません。米軍には有時に展開してもらう有事駐留でよいのではないかと考えます」
日米安保条約に反対しないとは言いながら、事実上の日米安保条約否定論ともとれる。少なくとも、そのように解釈されかねない。それはまた、日本の軍事力の飛躍的な増強にもつながりかねない。
この考えが、ただの観測気球ではないことは5月11日の稲嶺惠一知事の講演からも窺える。知事は後援会主催の「県政フォーラム」で米軍再編に関する協議は第二段階を迎えていること、自衛隊と米軍の組み合わせの中で米軍削減に伴って自衛隊による肩代わりの論議が浮上すると公の席で語ったのだ。
比嘉参与が説明した。
「これまでの沖縄の議論は全て後ろ向きの色彩を帯びざるを得ませんでした。自衛隊や基地についての前向きの考えはありません」
どれ程本音で語っても、基地についての沖縄の人々の前向きな考えは、暗黙の了解をもって表現されるところでとどまる“基地はいいよ”とはどうしても言えない状況が続いてきた。
だが、事情は変わったというのだ。牧野副知事が補った。
「たとえば下地島です。政府との合意では、同空港の使い方は“沖縄県が決める”となっています。県民の総意としての決断を知事が下す。地域の発展に本当に資すると判断すれば、県がそのように決めればよいだけなのです」
牧野副知事はこうも語る。
「イデオロギー抜きならば、下地島の飛行場は普天間の現状より安全です。伊良部島があり、そこから突き出た下地島は、ずっと安全なはずです」
下地島は海の中に突き出た島である上に、住民はいない。下地島の土地は全て沖縄県の所有であり、伊良部町の住民は本土から行った空港施設関係者らごく一部を除き、全員伊良部島に住んでいる。イデオロギー抜きで考えれば、下地島は宜野湾のまん中に基地を擁し続けるよりはるかに安全で合理的だとわかる。だからこそ、比嘉参与は、10月に予定されている下地島を含む同地域の選挙では、下地島空港問題を沖縄全体の安全保障の一部と位置づけて住民に問うことが大事だと言う。比嘉参与が強調した。
「イデオロギーに縛られている限り、下地島空港に自衛隊を誘致することや、それによって日米安保全体を沖縄も受け容れやすくなるなどという政策を公約には出来ない。そんなことを言えば選挙に負けると一般的に思いこんでいるのです。
しかし、選挙故にこの問題をタブーにして、選挙後に自衛隊誘致をまた持ち出したりすれば、それこそ住民への裏切りです。必要ならば、大きなビジョンの中で、真正面からこの問題を政策で問うていく決意が必要です」
問題は、いかにしてイデオロギーを乗り越えるかである。沖縄県民のイデオロギーの問題のみならず、政府と沖縄県が相互の信頼をどう築いていくかである。
今、選択すべきは何か
稲嶺知事に対する政府の信頼はどうみても厚いとは言えない。むしろ、普天間の基地を沖縄本島北部の辺野古に移転するとの公約を掲げて選挙を戦い、知事に当選したにもかかわらず、現在に至るまで、移転は行われていない。その間、政府は、移転の見返りの意味をこめて、他の県に対するよりも沖縄の産業振興に力を尽した。にもかかわらず、事態は動いていないという思いがある。
このような見方は、政府のみならず、先述の稲嶺氏の後援会が主催した知事の講演会でも質問の形で表現された。稲嶺氏を支えているはずの後援会のメンバーでさえ次のように激しく問うたのた。
「(基地の)辺野古移転をやるということで県民の信任を受けたわけですからどうあろうと、進める方向の方がよい」。さらにこの人物は、移転を進めてこなかった知事に対し、「君子は偽りの言葉なし、論言汗の如し」などと、迫っている。
6年前、沖縄は普天間の県内移転を軍民共用等を前提に受け容れた。今、100社を超える企業が誘致された。無論、経済が全てではないが、基地とのバランスを保つことによって経済を発展させてきたことも事実である。経済の安定から沖縄の安定が生まれることを政府は理解しなければならないが、沖縄に対しては、より根源的な説明が必要だ。
内閣府関係者が語る。
「米軍再編によって、在日米軍の規模が縮小されることもあります。しかし、私たちは中国、北朝鮮の脅威を軽視するわけにはいきません。在韓米軍の一部兵力削減や司令部機構を38度線の後方に移すことは、朝鮮半島での米軍の力が、若干弱まることを意味します。加えて、最近顕著になってきた中国の覇権国家的な行動に、米国は敏感です。中国を念頭に置けば、沖縄米軍基地を縮小するにしても、抑止力は強化しなければならない。沖縄の重要性は高いのです」
小泉首相は、基地問題を日本全体で負担する方策を考えると述べた。日本と沖縄の安全保障のために、その言葉の実行が必要だ。
だからこそ下地島や伊良部町で展開される混乱を、政府は軽視してはならないのだ。沖縄の振興をはかりつつ、沖縄ひとりに基地を負担させる状況を改める行動が必要だ。混乱は政府の国防政策の欠如から生まれているからだ。日本が問題を放置してきた間に中国は軍事力を増強した。台湾海峡の軍事バランスが中国有利に傾くのは早ければ2010年と見られている。近い将来、東シナ海の軍事バランスが劇的に変わる可能性は極めて高い。政府は、米軍再編の波を捉え、日米安保が真に効率的に機能する体制を築かなければならない。下地島への自衛隊の展開は、日本の安全保障を総合的に構築する第一歩だ。日米安保の全体像のなかでの下地島の位置づけを明確に示すことが出来て、はじめて下地島の自衛隊配備がまともに議論されるだろう。
『週刊ダイヤモンド』 2005年4月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 586
東シナ海を事実上中国の海とし、日本の海洋資源を横から持ち去り、日本の領海をわが庭のように知り尽くした様子で侵犯する中国。その中国の脅威に、早く効果的な防備態勢をつくってほしいと、沖縄県伊良部(いらぶ)町議会が決議した。同町にある下地島(しもじしま)空港に自衛隊を駐屯させよという、政府への要請の決議である。
決議は、3月16日、切迫した状況のなかで、九対八の僅差で可決された。賛成した豊見山恵栄(とみやまけいえい)、謝花浩光(じゃはなひろみつ)氏ら9人の町議会議員の信念が、中国の脅威から日本を救う大事な一歩になると私は考える。
伊良部町のある伊良部島は、琉球列島のほぼ中間を占める宮古諸島の外れに位置する。昨年11月10日未明に、中国の原子力潜水艦が領海侵犯して通り過ぎた先島(さきしま)諸島にも、また中国が領有権を主張する尖閣諸島にもきわめて近く、目と鼻の先にある。3,000メートルの立派な滑走路を持つ下地島空港もこの町にある。同空港は、現在、民間によっても自衛隊によっても、ほとんど活用されていない。沖縄県は34年前に、同空港は自衛隊には使わせないとの姿勢を打ち出しており、稲嶺惠一(いなみねけいいち)現知事も同様の考えだ。
だが、伊良部町は、県の方針とは逆に、自衛隊の下地島空港への駐屯を国に要請したのだ。
彼らは問う。中国の原子力潜水艦による領海侵犯について、先島圏域の首長が誰一人として抗議の声を上げなかったのはなぜかと。沖縄県も、領海侵犯に対してなんの抗議も行なわなかったのはなぜかと。住民の安全を守るべき自治体の首長が、誰一人として声を上げなかったこと自体、寒心極まる。その理由は、首長らが「誰が地域を守り、県民を守るべきなのかまったく認識していない」からだと彼らは指摘する。そして「再び中国軍の領海侵犯が起こらないという保証はない」として、「先島圏域の住民の安全保障は、伊良部町の安全に尽きると認識し、政府の責任において緊急に自衛隊を誘致し駐屯を実施」してほしいと、「強く要請」したのだ。
この決議の持つ意味は戦術、戦略上、非常に大きい。現在、東シナ海で中国艦船が日本の領海を侵犯したり、尖閣諸島周辺でなんらかのかたちで展開したとしても、日本の海上自衛隊にできることは限られている。沖縄本島から海自のF4ファントムが飛び立ったとしても、30~40年も前に活躍したこの古い機種の戦闘機にとっては、片道420キロメートルの距離を往復するので精一杯である。対して、同空域に展開する中国側は、最新鋭のスホーイ27戦闘機である。
自衛隊内には、北海道に配備している、より新しい機種のF15を沖縄に移すべきだとの声もあるが、無視され続けてきた。中国の最新鋭戦闘機対日本の旧式戦闘機。東シナ海の制空権は完全に失われているのが現状だ。
日本の失われた制空権を日本の手に取り戻す最も有効な方法が、下地島空港の活用なのだ。先述のように、下地島空港は尖閣諸島の目の前にある。有事には、すぐに飛び立ち、現場に急行できる。420キロメートル離れた那覇から飛び立つのでは間に合わない事態でも、地元の下地島空港から飛び立てば十分に対処できるだろう。
同空港活用にはもう一つ、重大な意味がある。日本国の領土領海は日本国政府が守る、日本国民の安全と安寧を脅かすことは日本国政府が許さない、という政治意思を明確に中国に示すことになるからだ。日本が長年示しえないできた、「日本国は日本国政府が守る」という、普通の国なら当然の国家意思を、下地島空港への自衛隊の駐屯でようやく明確にすることができる。
小泉純一郎首相、大野功統(よしのり)防衛庁長官はじめ国政を預かる人びとは、伊良部町議会の決議を感謝して受け、一日も早く彼らの要請に応えよ。
『週刊ダイヤモンド』 2005年2月19日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 580
1月28、29の両日、東京で「新しい日露関係第一回専門家対話」という会議が開かれた。日露双方で約20人が参加して、両国間の問題と発展の可能性を語り合う目的だった。
参加して驚いたのは、ロシア側の強硬な態度だった。たとえば、日本側がロシアの中国への武器輸出について懸念を表明したときの反応である。ちなみに、世界の武器貿易で、中国は全体の四割を輸入している。すべて最新鋭の武器・装備であり、日本およびアジア諸国にとって、肥大化する中国の軍事力は非常に大きな脅威である。そして、中国の輸入する武器・装備のほとんどすべてがロシア製なのである。
ロシアは中国への武器・装備と軍事関連技術の売却で膨大な利益を得ており、そこにフランスをはじめとするEU加盟国が食い込もうとしていることは周知のとおりだ。EUは、1989年の天安門事件以来禁止されてきた中国への武器輸出を再開しようとして、現在、米国との鬩(せめ)ぎ合いが続いており、就任後、国務長官として初めて訪欧したライス氏は、この点について強い懸念を表明した。
もう一点、中国の軍事力増強の尋常ならざる点は、89年以来、軍事予算の伸び率が経済の伸び率をはるかに凌駕し続けてきた点だ。中国の経済成長率には目を見張るものがあるが、公式に発表された軍事予算の伸び率は、経済成長率のそれに、倍するものである。しかも、中国の真の軍事予算は、公式発表の3倍ないし5倍に達しているというのが、世界の軍事専門家たちの常識である。
このような状況下で、日本側が、ロシアの中国への武器輸出に懸念を抱くのは自然である。だが、ロシア側の専門家たちは、「米国が日本に武器売却を続けていることを見れば、ロシアの中国への武器売却はなんら不合理ではない」と答えたのだ。
いやなら日本こそが米国からの武器・装備の購入を控えればよいという姿勢には、ソビエト連邦崩壊後のロシアに漂っていたと思われた「対決よりも対話重視の姿勢」はまったくうかがえなかった。
領土問題についても、非常に厳しい姿勢を彼らは維持した。両国間に領土問題が存在するということをロシア側が認めていること自体が大きな譲歩であり、プーチン大統領は非常なる政治的リスクを払って、そのような立場を採っているのだという考え方だった。
第二次世界大戦終了直前の45年8月9日、突然ソ連側が日ソ中立条約を破棄して日本側に攻撃を仕掛けてきたこと、北方領土にソ連軍が上陸したのは、日本が敗戦を受け入れ降伏したあとの8月18日だったこと、本来なら、日本の降伏と同時にすべての戦闘は終了しなければならないにもかかわらず、軍事侵攻を続けたソ連のやり方は国際法上も道義上も許されるものではないことなどを考えると、ロシア側の主張はまさに一方的である。
73年の田中角栄首相(当時)の訪ソによって出された日ソ共同声明には、両国間に領土問題が存在し、それは四島であると確認されていることを考えれば、ロシア側の主張はなおさら噴飯ものだ。さらに、93年の東京宣言には、「四島は歯舞(はぼまい)、色丹、(しこたん)国後(くなしり)、択捉(えとろふ)である」と、固有名詞も書き込まれている。
ロシア側の専門家は、日本は二島(歯舞、色丹)以上を手にすることはできないとも強調したが、1月14日の日露外相会議でも同じことが町村信孝外相に伝えられたそうだ。その条件を受け入れなければ、プーチン大統領の訪日もおぼつかないと彼らは言うのだが、そんな条件でプーチン大統領の訪日を請う必要はないだろう。日本側の揺るがぬ外交姿勢が必要だ。
『週刊新潮』 ’05年1月13日号
日本ルネッサンス[拡大版] 第148回
2004年暮れに東シナ海上空を飛んだ。眼下に広がる日中摩擦の海の現状を視て感じたことは、中国が主張している大陸棚説の、日中双方にとって相反する意味での死活的重要性だった。
中国は、中国の大陸棚は沖縄トラフまで続いていて海も海底資源も尖閣諸島も、そこまでの全てが中国のものだと主張する。
地図を広げると中国の意図が手に取るように見える。日本列島は、北海道から東京、東京から鹿児島までが各々約1,000キロ。鹿児島から南西諸島の最西端、与那国島までが、これまた、約1,000キロだ。
南西諸島は東から順に大隅、吐蝎カ喇(とから)、奄美、沖縄、先島(さきしま)の諸群島から成る。その先の手が届きそうなところに台湾がある。
南西諸島と台湾をつなぐ1,000キロを超える距離は、中国の海岸線の実に3分の2の前方を塞ぐ形に横たわっている。1987年に海洋国家であると自己定義し、猛烈に海洋進出を図ってきた中国は、海洋に出る場合、3分の2は必ず日本の列島線を通らなければならない。地政学上、これ以上ないほどの重要な位置を日本と台湾が占めている。中国が海洋国家として自在に海に進出するには、まず台湾の領有が死活的に必要であり、日本の南西諸島海域の実効支配が欠かせない。その国家目標を、論理的に支えるのが大陸棚説だ。
しかし、中国側の主張は国際法に適うものではない。国連海洋法は、一国の大陸棚が途切れずに続いている場合、その国に350海里(560キロ)の排他的経済水域を認めているが、複数の国が同じ大陸棚に存在する場合、海域を2等分するのが国際常識である。
そこで問題は、中国の主張のように、本当に大陸棚は沖縄の東側の沖縄トラフで切れていて、沖縄を含む南西諸島は中国とは全く別の大陸棚上に位置しているのかである。琉球大学理学部物質地球科学科の木村政昭教授らは、約10年にわたって共同研究を行なった。人工地震探査及び有人、無人の潜水調査を重ねてきた。その結果が10年前『東シナ海と沖縄トラフの地質構造発達史』という論文にまとめられた。結論は「沖縄トラフには海洋性地殻はない」、つまり、大陸棚は途切れずに、南西諸島のずっと先まで続いているというものだ。日中両国は同一の大陸棚上に位置しているのである。東シナ海は全て中国のものという主張は完全に間違いで、日本が主張する“中間線”論理が正しいのである。
海洋調査で遅れた日本にとって木村教授らの合同調査結果は天佑に等しい。日本政府は同教授らの調査をさらに深め、補強すべき点があればそのための調査研究に予算を割き、日本の立場を堅固なものにしていくべきだ。
大陸棚は沖縄の手前で途切れているのではないという科学的調査結果を中国は無視して、南西諸島周辺も中国の海であるかのように振舞いつづける。昨年11月に中国の漢級原子力潜水艦が南西諸島の宮古島と多良間島の間を通り抜け、領海を侵犯したことは記憶に新しい。旧ソ連の時代から日本の領海を潜水艦が潜ったまま通過したのは恐らくはじめてだ。前代未聞の主権侵害事件を中国側は未だに謝罪していない。小泉純一郎首相がチリでの胡錦濤国家主席との会談で領海侵犯の再発防止を求めたとき、胡主席は答えずに「大局に立って解決すべきだ」と述べた。ラオスでは中国側の要請で会ったにもかかわらず、温家宝首相が日中戦争での死者の数を知っているかなどと烈しい言葉で小泉首相を難詰した。
日本が領海侵犯の非を追及すれば、中国は数倍する勢いで歴史カードを切ってくる。一方で、海洋進出は着々と果たすのだ。
狙いは横須賀の米空母
中国の狙いはまず台湾領有、次に日本の南西諸島周辺海域の実効的支配の確立だ。東シナ海に集中していた違法調査活動が、今や南西諸島を超えた日本の太平洋側、沖ノ鳥島付近にまで広がっているのもその所為だ。同島周辺の海洋調査は2004年は1月9日に始まり、2月、3月、5月、7月と継続した。台風の多発した夏から秋にかけて中止されたが12月にまたもや調査船が姿を見せた。全て日本の排他的経済水域内での国連海洋法違反行為だ。
中国の調査済み海域は東シナ海、それにフィリピン海と太平洋が接する海域だ。後者は南大東島から沖ノ鳥島の位置する北緯20度あたりまで南下した海域と言ってよい。
いずれも台湾有事の際に米軍の空母が動く海域だ。台湾支援のため、米軍はまず、横須賀から空母を派遣するだろう。その場合、米空母は鹿児島の南の大隅海峡などを通って東シナ海に入ろうとするだろう。
グアムからも空母の派遣が考えられる。台湾の北部或いは南部をまわり込むと思うが、いずれの場合も米空母は沖ノ鳥島周辺を通過する。グアム島を基点にして台湾の北部と南部を結ぶ三角形を描けば、中国の船が調査を継続してきた海域とほぼピッタリ重なるのだ。
つまり、中国の調査船や潜水艦の動きが集中してきたこの2つの海域は、台湾有事の際の米空母の通り道なのだ。潮流、温度、塩分濃度、海底の形状などを調査したのは、空母を阻止するための潜水艦の配備を考えてのことだと見られている。
中国が台湾領有を狙いながら手を出せない理由は2つ、国際社会の目と米軍の力である。
前者について中国は巧みな外交を展開してきた。具体的問題をとらえて北京か台湾かの選択を迫るのである。たとえば、2004年7月にシンガポールのリー・シェンロン氏は首相就任を前に“個人的”“非公式”に台湾を訪れた。すると、間髪を容れず北京政府は「重大な結果を招く」と容赦ない批判を展開したのだ。
リー・クアンユー元首相の子息で二世議員のシェンロン氏は萎縮し、同年8月の首相就任演説で「台湾海峡での厄災はアジアの経済成長を狂わせる可能性がある」と述べ、台湾の独立を支持しないと言明した。
中国は個々の事例を見逃すことなく台湾を国際的孤立に追い込み、軍事行動の場合の国際的非難を事前に封じ込めようとする。
だが、中国にとってより深刻な問題は後者である。96年の台湾総統選挙のとき、中国は台湾海峡にミサイルを撃ち込んで李登輝氏の当選を阻止しようとした。米空母2隻が台湾周辺海域に近づいたとき、中国側は退却した。かなわない相手には引き下がる。力の差を冷静に計算出来るのだ。だからこそ、国際世論には屈しなくとも、強大な米国の軍事力には屈服するのだ。中国の計算はあくまでも現実的かつ冷徹である。
台湾有事と日本
その米空母が東シナ海に展開すれば、中国は敵ではなく、台湾奪取も不可能になる。反対に米空母の到着以前に台湾を制圧出来れば、米国も手を出しにくくなり、中国の台湾領有の目論見は成功に近づく。そのために、東シナ海及び、グアムから台湾に通ずる三角海域に潜水艦を潜航させれば空母の動きは封じられ、かなりの時間稼ぎになる。
昨年、中国の漢級クラスの潜水艦の航行は日本の領海で容易に捕捉された。だが、中国にはロシアから購入した非常に音の静かなキロ級潜水艦もある。潜水艦の専門家は、キロ級潜水艦の探知は難しく、「1キロ程の距離まで近づかなければ掴めないような代物」だと語った。海中の1キロといえばもうぶつかっているような感じのする近さだそうだ。中国は現在潜水艦60隻余りを保有しており、その内キロ級は4隻である。2007年までにこれを12隻にふやすことも決定済みだ。
捕捉し難い潜水艦は空母にとって大きな脅威だ。空からの攻撃には手厚く護られており非常に強い空母も海中からの攻撃には弱いという。発見されにくい潜水艦からミサイルが発射され胴体に命中すればどうなるか。米海軍の主力は大きく損傷しかねない。
建造して運営出来るまでの装備を整えるのに1隻につき、1兆円の予算がいると言われる空母を易々と脅威に晒すことは、米軍はしないはずだ。空母は危険海域には近づかないのだ。
こうしてみると、中国の一連の海洋調査が、日本の海洋資源と共に、台湾有事のときの米空母牽制を狙った動きであることが見えてくる。このことは、日本にも死活的な意味を持つ。
中国が台湾を制圧すれば台湾と中国大陸の間の台湾海峡も、台湾とフィリピンを隔てるバシー海峡も、中国の実質的支配下に入る。日本は石油のほぼ全量を中東からの輸入に頼る。石油輸入に必要な台湾、バシー両海峡に跨がるシーレーンは日本の生命線なのだ。それらを中国に支配されかねない。加えて、台湾とは目と鼻の先にある先島諸島や沖縄諸島、さらに尖閣諸島も中国の脅威に正面から晒される。このような緊張に、日本は耐えられるだろうか。
台湾制圧に関係なく、中国は予見し得る将来、日本に対して民族主義を旗印とするより強固な政策をとると予測するのは防衛大学校国際関係学科の村井友秀教授である。同教授は、中国はソ連のような共産主義を基盤として成立した国家ではなく、“抗日”という言葉に凝縮される反日民族主義を立国の基盤とするからだと説明する。
少々長くなるが、日中戦争に遡る村井教授の説明はざっと以下のとおりだ。
中国大陸で日本軍が戦った相手は阡」介石の国民党軍だった。上海、南京、武漢と続く全ての戦いに日本軍は勝ち進んだ。日本軍が毛沢東らの共産党軍と戦わなかったのは、彼らが国民党軍に敗れて内陸深く逃れていたからだ。日本との戦いの前の国共内戦では、共産党軍は国民党軍に敗退し続け勢力は30万から3万に激減した。前進してきた日本軍が直面したのは国民党軍で、彼らは悉く日本軍に敗れた。
にもかかわらず日本が中国で敗退したのは太平洋で敗れたからだ。
国民党の阡」介石は「安内攘外」、内を安んじて後に外を撃つ、つまり、共産党を先に叩いてその後に日本軍と戦かう戦術をとった。中国の大衆には納得出来ないことだっただろう。共産党の主張する抗日民族統一戦線と較べると、民族主義的ではないと映る。村井教授が語った。
「蒋介石の言葉に、共産主義は内臓の病い、日本軍は皮膚の病いというのがあります。皮膚の病いでは人間は死なないが内臓の病いでは死ぬ。だからより大きな脅威である共産主義勢力を日本軍より先に叩くという論法です。しかし、中国の一般大衆はそんな国民党に嫌気を覚えて、共産党軍に加担しました。わずか3万人に減った勢力が日中戦争の終わり近くには300万人に、国共内戦時には500万人に急増したのです」
敗退した国民党軍は台湾へ逃れた。残った共産党軍が政権を樹立したが、彼らの政権は共産主義イデオロギーによってではなく、抗日に凝縮される民族主義によってもたらされたのだ。だからこそ、ソ連崩壊にも中国は影響を受けなかったのだ。
「しかし、実は中国共産党の民族主義は極めてバーチャルだった。民族主義の実績なしに、民族主義政権への期待で誕生したのですから。そこで、中国共産党は政権奪取後に本当の民族主義政権になろうとしたのです」と村井教授。
それは奪われた領土を取り戻すことだった。人民解放軍を投入して東トルキスタン共和国を潰減させ、新疆ウイグル自治区として中国に編入した。チベットも武力で併合した。チベットへの漢民族の大規模移住を実行して、チベットの事実上の消滅を図ってきた。
日本が取るべき道
「一連の軍事行動の結果、現代中国は漢民族としては歴史上最大規模の領土を実現したのです。歴史上最大の領土を誇ったのはモンゴル人による元王朝、次が満州人の清王朝です。3番目に大きなのが漢民族の現政権の領土です。中国共産党は常にこのことを共産党の業績として国民に誇ってきました」と村井教授。
現代中国の国家基盤は民族主義で、その原点は日中戦争にあるということだ。そう認識すれば、中国が常に日本を悪者にし続ける必然性も見えてくる。日中関係に問題がなく「全く平和になる」ことはないであろうと理解出来る。特に今年中国は「ファシズム勝利60周年」を祝う予定だ。日本への歴史カードが最も先鋭的に使われかねない年だ。このような年に、日本にとってさらに必要なのは、中国との摩擦や緊張は事実によってよりも政治によって作られるものであり、現在の中国政府との関係においては緊張と摩擦の存在は特別なものではなく、常態であると覚悟することだ。そのうえで、中国の戦略に動揺したり惑わされたりしないためにも、全てに原則を踏まえてしっかりしなければならない。
東シナ海について言えば、日々行うべきことと大目標の両方を見失ってはならない。前者は東シナ海と太平洋側での中国の違法採掘に、断固として抗議することだ。海上自衛隊の艦船をフルに活用し、旧式の航空自衛隊のF4戦闘機を早急に最新鋭機に置きかえ、国家意思を形にして見せることだ。
そして大目標として、台湾有事を引き起こさせないために日米共同で台湾の安全を守る努力をせよ。同時に中国の主張する大陸棚説の誤りを明確に指摘し続け、日本側の主張の正しさを2009年7月までに科学的資料で裏づけ国連に報告することだ。それには、木村教授らの海底地質構造調査を国家的プロジェクトとして支援していくのがよい。