カテゴリー:憲法

「 民主党政権を主導する小沢一郎氏 矛盾に満ちた変節を疑う 」

『週刊ダイヤモンド』   2010年1月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 821



藤井裕久財務大臣の辞任など、鳩山民主党は年初から波乱含みである。藤井氏辞任の背景に、小沢一郎幹事長との齟齬があったと指摘されている。民主党政権の展望が一に小沢氏の意向や決定にかかっているといっても過言ではない現在、氏の目指すものは何なのかを、明確に把握しておきたい。

『日本改造計画』(講談社)を世に問うた1993年、氏が主張した政策、憲法改正を実現して日本は普通の国になる、自己責任を旨とし小さな政府をつくる、小選挙区制導入で二大政党制を実現するなどは真っ当な主張だった。

しかし、その後、氏の主張は著しく変化した。すべての根幹である日本国のあり方についての考え方も変わった。憲法改正、普通の国という考えが後退し、国連重視の度合いが強まった。

たとえば、『日本改造計画』では憲法九条を離れて日本は普通の国になるべきだと主張した。集団的自衛権を行使するための「小沢調査会」も設置した。96年の『小沢一郎 語る』(文藝春秋)でも、「日本だけが、お巡りさんの役は御免こうむります、消防士にはなりません、清掃作業も御免こうむります、汚いこと、嫌なこと、危険なことは私ら全くやりません、と言って済みますか」と問うている。

しかし、氏は同書でこうも書いていた。個別的、或いは集団的自衛権で平和を保つ時代はすぎて国連中心の平和維持活動以外に平和を担保する道はないのだから、平和維持のための御親兵を日本が国連に提供すべきだ、と。

ついに、日本は国連に「御親兵」を捧げて、国連の理想を広める先頭に立つべきだと主張するに至ったわけだ。これでは普通の国ではなく、夢見る異常の国である。

それからさらに10年後の2006年、『小沢主義(オザワイズム)』(集英社インターナショナル)で変化はさらに際立った。

「明治維新の際、新政府は当初、自前の軍隊を持たず、薩長をはじめとする旧藩の『多国籍軍』によって国家防衛、治安維持を行っていた。今の国連と同じである」「この明治維新にならって、日本は今こそ国連に『御親兵』を出して、世界平和への我が国の姿勢と理念を世界にアピールしていくべきだ」

なんと明治新政府と国連を同一視しているのだ。維新のとき、確かに明治新政府には自前の軍隊はなく、旧藩が御親兵を奉じた。しかし、それらはいずれも日本人の軍隊であり、出身藩は異なっても目標は一つだった。富国強兵を進め、欧米に追いつき、日本が陥っている国家存亡の危機から脱することだ。それは、すべての日本人が等しく抱いた共通の目的だった。列強の脅威の前に、日本国民は藩の境を越えて団結したのだ。

だが、国連のメンバーは、国も民族も、それぞれの目標もまったく異なる。国連は第二次世界大戦の戦勝国連合にすぎず、いまだに敵国条項をもって、日本を敵国と位置づけている。加えて常任理事国には、中国など、必ずしも日本と価値観を共有しない国がある。

そのような国連に日本が御親兵を奉じて使ってもらうという考えのなんと幼稚で自虐的なことか。

憲法改正と集団的自衛権の双方を否定し、国連重視に傾いてきた小沢氏がたどり着いたのが『小沢主義』である。そこには、「自分の脚で立ち、自分の頭で考えて決断」すること、つまり自己責任の重要性が強調されている。

だが、国連にすべてを託そうという氏の考えは、自己責任の対極にある。壮大な自己矛盾だ。氏がたどった普通の国構想から国連至上主義構想への変化は、憲法改正論から憲法擁護論への変化でもある。結局、小沢氏はいつの間にか、現行憲法の比類なき擁護者になったのだ。日本の歴史を加害者の歴史と位置づける東京裁判史観の信奉者だともいえる。氏の対中政策が朝貢的色彩を帯びる一つのゆえんである。

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「海上自衛隊”武器制限 ソマリア派遣”に異議あり」

『週刊新潮』’09年2月5日号
日本ルネッサンス・拡大版 第348回

櫻井 ソマリア沖に横行する海賊退治に国際社会が力を結集しつつあります。中国は昨年暮れに軍艦2隻と補給艦を合わせた3隻の派遣を決め、すでに「大国」としての働きを開始しています。韓国も軍艦の派遣を決めました。他方、日本は3月末あたりを目処に海上自衛隊を送りたいと議論しています。


そこで、民主党副代表で、安全保障の専門家でもいらっしゃる前原さんにお伺いします。3年9カ月、駐日米国大使を務めたシーファー大使が1月14日に行った離任前の会見で、「海賊は犯罪者だ。日本が海賊から自国民を護る決断を下すのに、なぜこれほど長い時間が掛かるのか、理解できない」と、語りました。憲法9条をはじめ、日本の特殊事情について理解の深かった大使が、今回、率直に理解できないと批判した。それほど日本の対応は鈍く、まさに理解を超えるものではないでしょうか。

前原 ソマリアの海賊に関しては、すでに3本の国連決議が全会一致で行われています。日本も賛成したこれらの決議を前提として、特別措置法を作り、早急に海上自衛隊を送ることを考えるべきです。

しかし、今、政府が進めているように、自衛隊法82条の「海上警備行動」を根拠にして、海自を派遣することには、慎重にならざるを得ません。それは、海警行動は、警察官職務執行法の準用でしかないことが第一点。

また、自衛隊法82条は、日本周辺で海上保安庁が対応できないときに、海自にバトンタッチするというのが本来の趣旨でした。ソマリア、つまり海外まで出かけて、日本の商船を守るということが前提になっていないのです。違法ではないが、根拠があやふやなものになっている。

櫻井 海警行動では、海上自衛隊の手足を縛って派遣することであり、期待される任務は到底、果たせないでしょう。

前原 無理ですね。憲法解釈で日本がやってはいけないことに、海外での武力行使があります。これまでのPKOやテロ特措法のときも常に、この点がネックとなってきました。具体的に説明すると、海上自衛隊の護衛艦は警察官職務執行法を準用するため、ソマリア沖で、正当防衛か緊急避難か、もう一つ、まさに笑い話ですが、相手が禁錮3年以上の罪を犯している場合に限り、撃っても構わないとされています。

しかし、その場合でさえ、武器使用では「比例原則」を守らなければなりません。相手の武器と同程度の武器しか使用してはならないというものです。

櫻井 海賊のような犯罪者集団に対しても、圧倒的な火力は使用できず、しかも原則、人的被害は出してはならないとされていますね。

前原 ですから、海賊船の船体を攻撃しても、撃沈させてはならないわけです。人的被害が生じますから。そもそも、護衛艦と海賊の乗る船では、戦闘力や防御力に大差があります。彼らはロケットランチャーなどで武装しているのが常ですが、武器の比例原則でこちらも同程度の武器で反撃した場合、向こうの船が爆発したり、沈没することは十分に考えられます。これは本当に憲法の禁止する武力行使に当たらないのか、という懸念がまずあります。

また日本には軍法裁判所がありませんから、その自衛官が後に過失に、つまり刑事罰に問われることはないのか、という点も整理されていません。こんな曖昧な形で任務を遂行するのでは、攻撃や危険に対して咄嗟の判断はとても出来ません。却って、こちらに被害が出るかもしれません。

櫻井 これでは日本の船でも十分に守ることが難しいかもしれません。中国はすでに台湾の船も守っています。日本の船も中国の軍艦に守ってもらうような事態に陥らないとも限りません。まさに、日本が中国の被保護国になり、日中の関係が完全に中国優位になることです。太平洋分割統治をアメリカにもちかけた中国にとっては、好都合でしょうが、日本にとっては受け入れ難いことです。

護衛対象外は救助不能

櫻井 99年、能登半島沖に侵入した北朝鮮の工作船に対して、海警行動が発令されました。しかし、彼らは日本側が攻撃を仕掛けることは出来ないと知っていて、ひたすら逃げました。一隻がエンジンの故障で停まってしまったのに、日本側は手が出せなかった。自分たちが攻撃しなければ、日本側は本当に撃ってこれないと知られてしまえば、敵は必ず逃げ切ります。

また、ソマリア沖に派遣された場合、海自が護り得る対象は、日本船籍の船や日本の貨物を積んでいる船などに限られると言われています。外国の船が襲われている場面に遭遇しても、海上警備行動という国内法に縛られれば、ただ見ているしかない。これでは、恨まれ、侮られます。

前原 確かに海警行動で派遣された場合は、助けることはできません。おそらく、浜田靖一防衛相は、その辺をギリギリ議論しているのだと思います。外国船の近くにたまたま日本の船がいた場合は、それを護るという名目で、海賊船が他国の船にアプローチするのを妨害するとか……。そういう想定を色々、やっているはずです。しかし、そういう名目も立たない場合、自分たちの任務ではないということにならざるを得ないでしょう。

櫻井 もしそんな事態が起きたら、国際社会の日本に対する反発は想像もできません。第一次湾岸戦争のとき、お金しか出さなかった日本にクウェートは感謝をしませんでした。それでもあのとき、日本は現場にいなかった。今度は目の前にいるにも拘らず、手助けしないことになります。囂々たる非難が巻き起こるでしょう。

ところが、麻生総理は、ここまで手足を縛られている「海上警備行動」について尋ねられたとき、軍艦に向かってくるような海賊船はいないでしょう、と言っています。そのような認識で海自は出されるのか。

前原 その通りです。実際、00年の10月、アデン湾でアメリカのイージス艦に対して自爆テロのゴムボートが突っ込み、大爆発したという事件もありました。ですから、ソマリア沖で自爆テロが起きないとは、断言できないのです。

櫻井 海自の船もその対象になるかもしれません。護衛艦が存在するだけで、周辺の海域が安全に護られるのだという認識では甘いのです。形だけの軍事力ではなく、実際に防御できる実効性ある軍事力にしなければならないと強く思います。

前原 警察官職務執行法に基づく武器使用基準で、本当によいのかという点は、自衛隊で長く検討されていますが、未だにネックとして存在しているわけです。この問題を解決するために、憲法改正というのでは、あまりにも時間が掛かりすぎるため、安倍元総理は、在任中、4つの類型を憲法解釈によってクリアさせようと、有識者会議を作りました。

アメリカを攻撃する弾道ミサイルを日本が撃ち落とせるのか、とか、公海上で海自の艦船と併走する米軍の艦船が攻撃された場合、自衛隊が防護してよいか。イラク復興支援のようなケースで他国軍が攻撃された場合、自衛隊が駆けつけて警護できるか、という類型も含まれていました。せめて安倍さんがそれをやってから辞めてくれれば良かったのですが、有識者会議が集団的自衛権の行使を容認する報告書を提出したのは、安倍総理の辞任後、福田総理のときでした。

日本を自力で守れない

櫻井 福田総理はその報告を全く無視した。その報告書は有効性を失ったのでしょうか。

前原 いえ、まだ有効です。

櫻井 麻生総理が引き継ぐことはできるのですか。

前原 できますが、何分、求心力のない総理ですから、現実的には難しいのではないでしょうか。また、公明党との連立がネックになるかもしれません。しかし、もし、この4類型で憲法解釈を変えれば、ソマリア沖での海自の活動について、問題は相当にクリアされるはずです。そもそも、集団的自衛権は国連憲章に認められていることですからね。全ての加盟国は個別的自衛権と集団的自衛権の両方を持つと認められています。

私は将来、日本は安全保障基本法を持つべきだと思いますが、そこに集団的自衛権の範囲をしっかり書けばよいと思っています。有事一歩手前の段階でも、同盟国アメリカや友好国のために協力できるという形を整えることは、日本の安全保障からすると当然のことでしょう。

櫻井 同感です。けれど、ソマリアへの自衛隊派遣について、基本法を作ろうと自民党が提案しても、民主党は話し合いに応じないそうです。

前原 それは、おかしなことです……。

櫻井 ですから、安全保障に関しての民主党の政策は信頼されず、政権政党としての力を疑われるのです。中国の軍事費はこの20年間で19倍になりました。ロシアも凄まじい軍事力強化です。このような状況下で、日本が台湾のようになる危険性はゼロではありません。台湾の実態として、アメリカと中国の共同管理という色彩が濃くなりつつあります。

例えば、アメリカは中国の顔色を見ながら、台湾の独立志向を牽制したり、新しい武器を売るかどうかを決め、台湾は自らの意思で自国の運命を決めることが次第に難しくなりつつあります。日本が同じ立場に追い込まれないためには、自力で自国を守り得る軍事力を日本も持つ時期が来たと思います。

前原 年間5兆円の予算を使いながら、日本は自国を自力では守れない仕組みになっています。昔の仮想敵国はソ連でした。当時は、大規模着上陸侵攻という有事が想定され、それに合わせて自衛隊が整備されてきました。

しかし、今、想定されている脅威は3つあります。1つ目が北朝鮮からのミサイル、2つ目があらゆるタイプのテロ、3つ目が島嶼侵攻を含めた主権の侵害です。即ち中国です。

櫻井 想定される3つの脅威に、現状では日本だけでは対応できませんね。

前原 ええ、日本のミサイル防衛システムは、アメリカの高高度の静止衛星からの情報がなければ機能しません。またテロに対して、もっとも重要なインテリジェンス能力ですが、衛星情報や諜報活動の能力を含め、日本は決定的に欠いています。

この点もアメリカ頼りで、例えば、北朝鮮の工作船を2度察知しましたけれど、全てアメリカの情報によるものでした。最後の島嶼侵攻については、制空権、制海権の問題に行きつきます。このまま中国の軍備増強が続けば、尖閣諸島を含めた東シナ海は、たとえアメリカと協力したとしても、日本の実効支配は危うくなるでしょう。

櫻井 たとえ、アメリカの協力があったとしても、日本の制海権、制空権の維持が難しいとの指摘は非常に重要です。昨年12月8日、中国の海洋調査船が尖閣諸島から3.2キロ沖合いの日本の領海に侵入し、9時間半も居座りました。

日本側の抗議に、中国側は「釣魚島は中国固有の領土」と開き直りました。さらに、海監総隊副隊長は、「領有権の争いがある海域では、実効支配が重要な意味を持つ。今後、この海域の管轄を強化する」と、述べました。軍か民間か、如何なる形か、中国が尖閣に上陸する日は遠くないと感じています。

2050年の世界地図

前原 外務省幹部によると新華社系の新聞には、「また行う」と報じられていたそうです。阻止するために海上保安庁による警戒態勢は強化されていますが、海自や米軍との連携を含めた中長期的な計画を考えていかなければならないと思います。

留意すべき点は、中国が空母の建造と宇宙の利用を急速に進めていることです。近い将来、30~40基の衛星を持ち、空母と連携させるでしょう。東シナ海のみならず、太平洋まで中国海軍の実効支配が強まってくると思います。

櫻井 今すぐできるのは、海保の船を尖閣の周辺に集中させることです。予算措置も立法措置も不要で、緊急手当てができます。日米安保条約や海自の存在も強く示さなければならず、そのために5兆円を下回った防衛予算を増額する必要があります。今でも、日本と中国の軍事力は1対3だと言われています。

このままでは10年後、中国の軍事力は約10倍になり、日本との差は30倍に開きます。そうなれば、日本は中国の顔色を窺わなくてはならず、もはや、彼らに物を言えなくなるでしょう。

前原 防衛基盤をアメリカにおんぶに抱っこでは、中国の力がより強くなったとき、アメリカから武器の輸出をしてもらえなくなるかもしれません。日本は戦闘機や情報衛星、護衛艦をできる限り、自らの力で作らなければなりません。自国で全てやろうとしたら大変ですから、他国との共同開発ができるように、武器輸出3原則を見直すことです。それは必ず日本の防衛基盤の強化に資するはずです。

櫻井 防衛基盤の強化に異論はありません。ただ、世界6番目の海洋大国である日本が海上自衛隊の力を削り続けるのは将来の国民への背信行為になりかねない。外交と軍事が一体であることを忘れ去ったかのような日本は、中国は無論、同盟国のアメリカからさえも受け入れてはもらえないでしょう。ソマリア沖で中国に守ってもらう日本でよいのかと、問いたいですね。

前原 一昨年、ゴールドマン・サックスが2050年の経済大国の予想を発表しました。1位中国、2位アメリカ、3位インドで、日本はロシア、メキシコ、ブラジルといった国と肩を並べています。そう考えると、中国が影響力を持つことは不可避でしょう。

台頭する国に対して周辺国が警戒感を持つのは当然ですが、現実を考えると、中国が傲慢にならないよう、身の丈にあった国際貢献もしてもらえるように、中国を導いていくことが大事だと思います。

そしてどうしたら、中国ときちんと付き合えるか。対中外交で最も大事なのは、原理原則を曲げないことです。その上で協力できるところは協力し合う。両面を合わせて上手くやっていかねばならないのです。

櫻井 そのためにも日本が真の自立を手に入れること、決定的に欠けている軍事的自立を達成することです。

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「国籍法や排出権など国の重要事項に無知・無関心の閣僚の資質を問う」

『週刊ダイヤモンド』   2008年12月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 768




この記事が読者の皆さんのお目にとまる頃には、国籍法改正案が参議院で可決され、成立しているはずだ。

改正国籍法は、日本人男性と外国人女性のあいだに生まれた子どもに、夫の認知を条件に、日本国籍を与えるというものだ。父子間の血縁関係の証明は必ずしも必要とされないために、悪用される危険性が指摘されている。

日本国籍を取りたい外国人女性と、いくばくかの収入を得たい日本人男性の偽装結婚を斡旋する犯罪が後を絶たないように、日本国籍取得のための偽装認知の斡旋ビジネスが罷り通りかねないという指摘だ。現に、国籍取得の基準を緩和し、トルコ人を主とする多数の外国人を受け入れたドイツは深刻な問題を抱えるに至っている。

他国の失敗の前例があるにもかかわらず、日本はなぜ、失敗事例をまねるのか。理由の一つに、全員とはいわないが、政治家の怠慢がある。残念ながら、その知的、政治的怠慢は、本来、政治に最も責任を持たなければならない閣僚に最も顕著に表れている。

国家の根幹の一つである国籍法改正でどのような負の影響が生じるかを検討もせずに、法務官僚の言うがままに、法改正を閣議決定したのが麻生太郎首相以下、閣僚の面々だ。

平沼赳夫氏からうかがった話だが、某閣僚から氏に電話が入った。国籍法改正案に、内容も知らずに署名、閣議決定してしまった、なんとか止めてくれまいか、という依頼だったそうだ。あきれる話だが、それでも、この閣僚は他の閣僚たちよりもずっとましだ。他の閣僚たちは、そもそも、改正法の問題に気づいてさえいないからだ。

閣僚になるほどの政治家であっても、いかに日本全体のことを考えていないか、もう一つ具体例を挙げる。地球温暖化防止のための二酸化炭素(CO2)排出削減についてである。

周知のように、日本は、他国に勝る高い技術でCO2排出を低レベルに抑えている。一例が、鉄一トンの製造に必要なエネルギー消費は、日本を1とすると欧米は1.2程度、日本より2割ほどエネルギー効率が悪く、そのぶん余計なCO2を排出している。中国は8.5、ロシアは約20。問題外だ。にもかかわらず、排出権取引で貧乏クジを引かされるのは日本だけだ。

京都議定書は日本が6%の削減率を達成できないように制度設計され、結果、日本は、排出権取引で他国から排出枠を購入せざるをえない。つまり、日本よりはるかに効率が悪く、膨大な量のCO2を排出し続けている中国などに巨額の支払いをすることになる。

環境省は12月3日、6%達成のための排出権購入費用を現時点で7,000億円と見積もったが、専門家らはもっと厳しく、2兆~10兆円という見方もある。明らかに日本をターゲットにした京都議定書の枠組みに替わる、より公正で公平な案を、今こそ日本が提案しなければならないのだ。

過日、ある重要閣僚にこの件について話をした。だが、その閣僚は排出権のことはあまり知らないし、興味がないと言うのだ。自分の所管ではない事柄への無知と無関心は驚き以外の何物でもない。そして私の脳裡に「超然内閣」という言葉が浮かんできた。

大日本帝国憲法発布のときに唱えられた、選挙で選ばれ、民意を代表する政治家や政党の意思にかかわりなく、天皇の閣僚が国政をつかさどるという考えだ。政治家は飾りもので、国政は官僚が仕切るということだ。その伝統が今も色濃く残っているからこそ、閣僚は各省次官の全員一致で決まった法案に、無自覚に署名するのだ。政治家の資質が日本の命運に直結するとの自覚がなく、官僚に導かれることになれているからこそ、二一世紀の国運を左右する、排出権取引にも無関心でいられるのだ。官僚依存から脱し切れないとしたら、もはやその党が、責任政党ではありえないのは明らかだ。

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「“国籍法”改正は日本の危機」

『週刊新潮』’08年12月4日号
【拡大版・緊急対談】平沼赳夫 vs 櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第340回



櫻井よしこ 現在、「国籍法改正案」の審議が急ピッチで進められています。11月4日に閣議決定され、既に衆議院を通過致しました。11月25日現在、改正は28日の参院本会議までの議論を残すのみとなりました。しかし、ここにきて、「国籍法改正」には、幾つかの大きな問題があることが明らかになってきました。これを通すことは、国の将来に様々な問題を生じさせるのではないか。少なくとも、国籍法の内容について、与党、野党含めて国民の代表である政治家も詳しく知らないまま、来てしまったのが現実です。


そこで、37名の国会議員からなる超党派の議員連盟「国籍法改正案を検証する会合に賛同する議員の会」(以下、反対議連)を急遽、立ち上げ、代表に就任された平沼赳夫代議士にお尋ねします。

平沼赳夫
 国籍法の改正のポイントは、これまで、日本人の男性と外国人の女性との間の子供は、両親が結婚をしているか、子供が生まれる前に、父親が認知をすることが、日本国籍を取得する条件でした。それが法改正によって、子供が生まれる前でも、生まれた後でも時期を問わず、父親が認知をすれば、子供に日本国籍が与えられるようになります。そう話すと、人権を守る良い方向に法律が変わるように聞こえるかもしれません。

しかし、国籍は国家の主権に係わる重要な要素です。今よりも安易に国籍を取れるようにするのであれば、少なくともきちんと検討をしなければなりません。よほどしっかりした担保を取らない限り、法改正はすべきでないと、我々は考えています。

櫻井 しかし、現実には、議論が尽くされていないにも拘らず、法改正が目前に迫っています。

平沼 論議が尽くされていないことの一例ですが、11月18日の火曜日に衆議院の法務委員会が開かれ、この国籍法改正案はたった3時間の質疑だけで法務委員会を通過してしまいました。

櫻井 大事な法案の審議がわずか3時間ですか……。

平沼 そうです。この委員会には、反対議連のメンバーである赤池誠章さんと稲田朋美さんの2人も委員として出席されていました。彼らは法務委員会で細かく質問をして、問題を炙り出そうと試みました。しかし、結果的には、法務省がムニャムニャと答弁して強引に通してしまった。実は、この法案には公明党が強く賛成しており、民主党も賛成です。自民党は、民主党の小沢代表と無用な摩擦を避けようとして賛成に廻りました。自民党の大島理森国対委員長は、「反対するなら、メンバーを差し替える」と圧力を掛けたそうです。

櫻井 委員の差し替えとは、尋常ではありませんね。

平沼 異常です。そして、その日の午後、本会議がありました。心ある議員は本会議を欠席して抗議としましたが、私は反対議連の代表ですから、状況を最後まで見てやろうと思って出席しました。そうしたら、河野洋平議長が、「本案についてのご異議ありませんか」と言い出し、皆「異議なし!」ということで、通ってしまいました。起立採決もなし。共産党も社民党も国民新党も全部賛成でした。そしていま、舞台が参議院に移ったところなのです。

櫻井 河野洋平氏は、これまで数々の決断で国益を著しく損ねてきた人物ですが、それはともかく、同法改正のキッカケとなったのは今年6月4日に出た最高裁判決ですね。

最高裁判決で思考停止 フィリピン人の女性と日本人男性との間の子供たちがいて、出生後に父親が認知をしています。この子供たちが日本国籍を取得できないのはおかしいと申し立てて裁判になり、最高裁で15人の裁判官が議論しました。その結果、12人が現行の国籍法は憲法14条の「法の下の平等」に反するとし、うち10人が原告に国籍が与えられるべきだと判断したのです。違憲状態とした判事の多くは、昔とは社会情勢が変わったとか、夫婦間の絆が変わったなどを理由としていましたが、そのうち2名は、「立法の府である国会で判断すべきこと」と国籍付与に反対しました。しかし、多数決で決まってしまうのです。

平沼

櫻井 この判決に異論を唱える憲法学者も少なくありません。例えば、日本大学の百地章教授は、子供たちの国籍取得を認めた点が、最高裁判決の行き過ぎだという意見です。現状が違憲だと判断することまでは最高裁、つまり司法の仕事だけれど、国籍を付与するかどうかを決めるのは、あくまで立法府に任せるべきだという考え方です。同判決は、司法が立法に踏み込み、三権分立を侵したケースだといえるわけです。

平沼 ところが、国会は最高裁判決に目を眩まされて、思考停止してしまった。加えて、人権というものが非常に良いもので、積極的にやることは進歩的だとする浅薄な風潮があります。人権に関して、日本の議員は甘いですね。そんな事情が重なって、今、改正案が通りそうになっているのです。

櫻井 私たちは、最高裁の判決の全てが正しいと思い込みがちです。しかし、これまでの最高裁判決の中には、幾つもおかしなものがありました。例えば「一票の格差」に関する判決です。どこの国でも、大概、一票の格差が都市と地方で、2倍以上になれば、許容範囲を超えたとして、区割りや定数是正の助言や勧告が出るものです。日本の場合は、今、一票の格差は4・8倍にまで開いていますが、そのような現状を、最高裁は「合憲」と判断しています。

平沼 確かにそうです。

櫻井 また、田中角栄元首相がロッキード事件で逮捕された時、高裁までは有罪でした。しかし、舞台が最高裁に移ると、田中元首相の生存中、最高裁は田中元首相の政治力を怖れてでしょうか、判決を出さなかった。最高裁は、本当に力のある権力に対しては敢えて逆らわなかったと非難されても弁明できなかったはずです。国会がそのような司法に盲目的に追従しているのが国籍法改正です。

平沼 思考停止といえば、麻生内閣も同じです。と言いますのも、現職閣僚の一人が、私に、「自分も国籍法改正案に署名してしまったが、まずい法律だと、ようやくわかってきた。何とかしてほしい」と言ってきました。こちらは、「あんた、閣議で花押を押して、サインしたんじゃないのか」と訊き返したら、「こんな法案とは知らず、流れ作業で判を突いてしまった」と……。これは非常に象徴的な話です。

櫻井 閣議の時に署名はしたが、中身は判っていなかったというわけですね。

鬼の居ぬ間に法案通過 そうです。私も何度か閣僚を経験しました。確かにその経験に照らすと、閣議の時、官房長官が法案を読み上げるのを聞きながら、目の前の閣議書に署名をします。しかし、多い時は20件くらい次から次へと法案が回ってくるわけです。そうなると、総理以下、流れ作業で署名するような状況です。私に連絡してきた閣僚が「流れ作業」と言った意味はそういうことなのです。

平沼

櫻井 日本の政治は、その辺から変えていかなければいけませんね。かつて、菅直人氏が『大臣』という著書に書いていました。閣議の翌日の新聞を見て、自分が署名した法案の中身を初めて理解すると……。伝統的に、日本は閣議の前日に事務次官会議が開かれ、同会議で全会一致で決まった法案だけを閣議に提出します。国民の側には、閣議では、喧々囂々の議論が行われているというイメージがあるのですが、実際は、今、仰ったように官房長官が読み上げるものに流れ作業で署名をしていく。おまけに政府が提出する法案のほとんどは、実は官僚が作り、全官僚が一致して賛成した法案のみだということですね。

平沼 毎年、通常国会で100本から150本の法案が出てきますが、その8割くらいは政府提案です。国籍法改正のケースでも、最高裁の判決が下されたので、法務省としては、1日も早く法律を改正しなければいけないということで、急いでいるように映ります。そのため、議員には知らせないで、ススッとやってしまおうという雰囲気が見て取れました。タイミングの悪いことに、議員の方も、年内に解散総選挙があるという話でしたから、自民党では法務部会などに出席する議員も僅かでした。結果、法案の中身が吟味されないまま、通過しそうになっているわけです。

櫻井 むしろ、各議員には、選挙区で選挙活動を行えという指令が党から出ていたそうですね。出来るだけ秘密裏に事を運びたい、そのために多くの議員が地元に戻っている間に手続きを済ませたいという魂胆でしょうか。

平沼
 そうなんです。だから、私は法務省に、「鬼の居ぬ間に洗濯か」と言いました。すると、法務省の審議官が、「自民党の部会でも政調会、総務会でもちゃんと手続きをとっています」と、豪語しました。「ちょっと待て、私は無所属だが、ちゃんと説明してくれたのか」と言い返したら、黙ってしまいました。

櫻井 人権擁護法案の時には、官僚が勝手に法案を作り、とんでもない悪法が出来上がりました。その時、平沼さんが先頭に立って反対し、阻止しましたね。

平沼 はい、あの時は潰せたのですが、人権擁護法案の経緯がありますから、今回、彼ら(法務省)は秘密裏にやろうとしたのではないか。私はそういう疑いを持っています。

櫻井 けれど、最高裁判決が下ったからといって、今回のように、法務省が慌てるのは珍しい。これも百地教授にお聞きしたことですが、最高裁が、一般の殺人よりも重い量刑を科されている尊属殺人の規定に違憲判断を下したのは1973年でした。しかしそれから22年もの間、法改正を行わなかったこともあったのです。ただ、最高裁判決を受けて、新たに訴えを起こし、国籍を取得しようとしている人々が、現在、100名以上、いるわけです。法務省が対応を急いだのにはこんな事情もあったと思われます。では、国籍法が改正されると、日本の国益はどのように損なわれる可能性があるのでしょうか。

平沼 まず、二重国籍を持っている子供の人数が際限なく増えていき、社会問題となる可能性があります。一例ですが、日本国籍を取得すると、日本の生活保護なども享受できるようになりますね。生活保護は日本人の目から見れば大した金額ではないかもしれませんが、外国人の目から見ればそうでもありません。今の最低賃金よりも生活保護費の方が高い。そういう実状がありますからね。すると、日本国籍を欲しがる人との間に、商売が成り立つ可能性があるわけです。日本人の男性が「これは私の子だ」と認知すると、自動的に国籍が発生します。日本国籍を取りたいという人は諸外国に沢山いますが、偽装防止の歯止めがない。現にドイツはそれで失敗しています。

櫻井 改正案には、不正国籍取得の罰則規定があります。1年以下の懲役か、20万円以下の罰金です。重い刑罰ではありません。むしろ、軽くて安いです。

平沼 安いですね。法務省はこの点、不正取得の暁には、公正証書原本不実記載や、戸籍法違反にも問えるので、合計すれば、実質は7年以下の罪に問えるから、重罪だと言っていますが、これは理屈をこねているだけで、抑止効果は殆ど無いに等しい。ゆえに、ただ認知すれば国籍が取れる法律は危険なのです。

櫻井 6月に最高裁で判決が出たケースの中に、二人の姉妹がいて、姉の方は生まれた後に認知されたため日本国籍がなく、妹はお母さんのお腹の中にいるときに認知を受けたので日本国籍を持っています。なるほど、このケースは、はっきり親子関係がわかりますから良いと思うのです。しかし、親子関係が確認できないにも拘らず、認知だけで国籍が取得できるとすると、ビジネスになる可能性は十分にあるでしょう。今も、偽装結婚の斡旋が横行しているわけですから。

DNA鑑定の必要性 法務省に対して、それでは規則を不祥事が起きないように担保すべきだから、DNA鑑定などを導入してはどうだと問うと、これは駄目ですと言います。理由の一つが10万円の費用です。しかし、国籍問題は重要ですから、10万円掛かろうが問題ではないと考えますよ。ヨーロッパなどでは、移民が家族を呼び寄せる場合、DNA鑑定を実施している国は少なくとも11カ国はあります。にも拘らず、法務省は10万円という金額で躊躇している。

平沼

櫻井 国籍の持つ意味の重さをどう評価するかですね。

平沼
 今のところ、我々にできた精一杯の仕事は、法案に附帯決議案をくっ付けたことです。科学的な確認方法を導入することを検討するように配慮すべきという決議です。しかし、附帯決議は尊重する義務はあるものの、過去の例を見るとその実効性は疑わしい。ですから、参議院の審議の際には、さらに強力な歯止めをつけなければいけないと思っています。

櫻井 親子関係の確認に科学的な確認方法を導入することを問題視する意見もあります。なぜなら、民法では行っていない、戸籍上の親子にはそのような科学的証明は求められていないが、民法上の「認知」はそのまま認められているではないかという理由です。

しかし、民法と、主権の行使である国籍法は厳然と分けて考えるべきだというのが、前述の百地教授らです。今回、最高裁が依拠した「認知」は「国籍取得の条件」となります。また、日本の国籍法は血統主義を採用しています。そのため、DNA鑑定は不自然ではなく、特に、偽装認知が疑われるときは、必要だというのは理に適っていると思います。それにしても、法務省は日本の国益を、どう考えているのか、疑問に感じます。目先の問題の処理に没頭するあまり、中長期的な日本の国益を見失っているかのような官僚の提言をそのまま受け入れる麻生政権に対して、世論の風向きも変わりつつあります。麻生政権への支持は、「保守」の政治家としての氏への支持だと思います。しかし、「国籍法改正」は、「保守」の視点からは到底受け入れがたい。民主主義の視点からも、十分な議論もないため、受け入れ難い。まともな議論もなく、通してしまえば、麻生首相はやはりそれだけの政治家だったかと判断されかねません。

平沼 私のところに来る有権者のメールにも、麻生太郎に対する失望感が滲み出ていますね。

櫻井 麻生首相の「保守」政治家としてのもう一つの疑問は「田母神論文」に対する性急な措置です。麻生首相も浜田靖一防衛相も、論文の中身を精査せず、増田事務次官の進言に従って、事実上の更迭を決めてしまったのが真相のようです。これも、問題を起こしたくないという「官僚政治」でしょう。しかし、麻生首相は安倍元首相同様、「戦後レジームからの脱却」を唱えてきたはずです。

平沼 それならまず「村山談話」を否定しなければならないはずです。

櫻井 「田母神論文」には、論理の展開に甘いところがあります。しかし、彼の主張は「村山談話」からの脱却です。それは麻生政権の目指す方向と一致しているはずです。なのに、首相は、田母神氏を更迭した。続いて、国籍法を問題意識もなく改正するとすれば、麻生政権は何のためか、と問わなければならない。

平沼 国民の中の本当の保守の人たちはそこを見ていますよ。それは支持率の急落にも反映されていて、既に20%台に落ち込んでいます。私は首相の親友であるだけに残念ですね。思うに、麻生さんは、問題を起こすことを避けているように思います。ある意味、「ポピュリスト」になってしまっている。漢字の読み間違いが続いたので、役人が原稿に全部ルビを振ったそうですが、彼は人前で眼鏡をかけないから、それが読めない。でも、60を過ぎたのだから、人前で眼鏡をかけても良いんですよ。

麻生総理はポピュリズム 68歳の方が総理大臣。素晴らしいことです。眼鏡が必要なのは不思議ではありませんし、高齢の方々を元気付けるでしょう。

櫻井

平沼 先日、秋葉原で「少年サンデー」は今週読んだけれども「少年ジャンプ」はまだだ、と演説しました。けれども、各国の首脳でマンガについて演説なんかする人はいません。人気マンガの主人公の銅像が出来たと、除幕式で法被を着て挨拶していましたが、これも宰相のやることではありません。自民党の学生部と「北の家族」という安い居酒屋に行きましたが、これもポピュリズム。麻生さんは、お金持ちで貴族なのだから、それで通せば良いんですよ。

櫻井 読むのはマンガだけではないでしょうから、そうした面も見せれば良いのです。やるべきことをきちんとやれば良いだけです。

平沼 今回の、国籍法の改正だって、総理が一言、おかしいと言えば、議論が湧き起こったはずなのに、それがまったく出なかった。

櫻井 残念ですね。

平沼 私は、来る総選挙に、保守系無所属の「平沼グループ」として、13人の同志と共に打って出ます。その際には、櫻井さんが指摘なさった閣議や事務次官会議のあり方にもメスを入れると、国民の皆さんに向けて発表していくつもりです。

櫻井 「親友」の総理大臣には何と助言されますか?

平沼 このところ連絡はありませんし、私も今、彼と会う気はありません。しかし、もし、彼から相談があれば即刻、「こんなもの止めるのがよい」と、助言するつもりです。

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「 日本国籍を取得した者だけに参政権を与えるべきではないか 」

『週刊ダイヤモンド』   2008年2月23日号

 

新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 728

福田康夫首相の下で特別永住者の参政権付与の問題が再浮上している。各政党内に賛否両論あり、根深い対立を引き起こしてきた同問題は、これまで関連法案が四度廃案となり、22回継続審議となった、いわくつきの課題だ。

特別永住者とは、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾から、戦前戦中に日本に来た人びと、あるいはその子孫である。現在約43万人、うち約3,000 人が台湾の人びとで、残りは朝鮮半島出身だ。彼らは韓国系の在日本大韓民国民団(民団)と北朝鮮系の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に分かれる。参政権を求めているのは民団系の人びとだ。ちなみに朝鮮総連は参政権の取得には反対の立場だ。

首都大学東京教授の鄭大均氏が語る。
「特別永住者の圧倒的多数が日本で生まれ育ち、日本語を母国語とし朝鮮語は話せません。国籍は朝鮮半島にあっても、彼らは本国への帰属意識に欠け、一方で、法律上日本では外国人なのですが、外国人意識にも欠けます。己は何者かという自己認識と帰属(国籍)のあいだに埋めがたい溝があるのが特徴です」

だからこそ、鄭氏は、在日コリアンは日本国籍を取得するのが合理的だと主張する。日本政府は、外国籍のままの在日コリアンに参政権を与えるのでなく、正式に日本国民になった人びとに参政権を与えるべきで、そのために、彼らの国籍取得は簡便な手続きで可能になるよう策を講ずるべきだという。

私も、氏の主張に賛成だ。そして外国籍にとどまりたい人びとには、たとえ地方レベルといえども参政権は与えるべきでないと考える。地方選挙では時に、米軍基地問題、原子力発電所問題など国家政策の根幹にかかわる事案が焦点になる。そうした重要問題が外国籍の人びとによって左右されるのは国益上好ましくないからだ。

こんな折、気になる動きが民団内で浮上した。2月6日の「統一日報」が一面トップで「河丙鈺(ハービョンオク)氏復権 上程の動き」の見出しで報じた事柄だ。2年前の2006年、民団は深刻な危機に直面した。自由、民主主義、法治を旨とする民団が、拉致、麻薬、偽札、武器密輸などの犯罪を続ける金正日総書記に忠誠を誓う北朝鮮の出先機関、朝鮮総連に乗っ取られそうになったのだ。

当時中心的役割を果たしたのが河氏だった。氏は06年2月に民団団長に就任し、それに伴って親北朝鮮の活動家たちが民団組織の中枢部に入り始めたのだ。同年5月、彼らは突然「民団・総連5・17共同声明」を発表、2つの組織が協力体制に入ると宣言した。民団の機関決定なしになされた右の独断的決定は、約45万の会員を擁する民団が、その1割程度の会員しかいない朝鮮総連にのみ込まれることを意味していた。民団地方本部が相次いで反対を表明、最終的に河氏は除名された。

先の「統一日報」によると、今年1月以来、河氏以下7人の処分撤回が民団中央本部で検討され始め、郭東儀氏もその対象だという。

驚愕の情報である。郭氏は在日韓国民主統一連合の議長を長年務めた筋金入りの北朝鮮系活動家だ。民団が氏を除名して35年、それを今、復権させようというのだ。事態の行方はまだ不明だが、一連の動きは民団中枢部に伸びる北朝鮮勢力の黒い手を思わせる。

特別永住者の参政権問題に話を戻せば、確かに、表向き、朝鮮総連は参政権を拒否する。だが、実際は、朝鮮総連よりはるかに会員が多く、財政・資金面で余裕のある民団を操り、国籍は韓国あるいは北朝鮮籍のままで、日本の参政権を得て、日本の政治に影響を与えようとしているとも思われる。

このような事態の進行を目にすれば、特別永住者だからといって、外国籍のまま、参政権を与えるのは日本のためにも、北朝鮮勢力と闘う民団および韓国のためにも、はなはだ不適切だと思うのである。

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暫定税率据え置きは公約への裏切り 雲散霧消する一般財源化問題

『週刊ダイヤモンド』   2008年2月9日号

 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 726

与党も野党も政治の要は「生活第一主義」の実現だと唱え、国会ではガソリンの暫定税率問題に焦点が絞られている。わかりやすく論じなければ、国民がついてこないという思いがあるのだろうが、きわめて限定的かつ単純化された問題提起は、あまりにも国民をバカにしているのではないか。

ガソリンの暫定税率問題は、小泉純一郎元首相が明言し、安倍晋三前首相も明確に引き継いだ、道路特定財源の一般財源化問題の一部として議論されなければならないものだ。
小泉氏に高い支持率をもたらした一因は、問題の図式を単純化し、“抵抗勢力”を仕立て上げ、黒か白かの対立構造をつくり上げたその手法だった。氏は対立構造のなかで自身を改革の旗手と位置づけ、道路公団の民営化問題を“政治の小道具”として利用した。
重要な課題である道路公団民営化をあえて“小泉氏の小道具”と呼ぶのは、幕が下りてみれば、それが氏の基本的姿勢だったとわかるからだ。

惨めな失敗に終わった道路公団民営化を「成果だ」と主張する小泉氏や、民営化委員会委員だった猪瀬直樹氏らは、国民を騙した点で狡猾である。

だが、道路公団民営化に失敗した小泉氏は、次に道路特定財源の一般財源化を持ち出した。これは、もし実現すれば後述する理由で、民営化の失敗を補って余りある成果をもたらすきわめて有効な改革案だった。私は驚きの気持ちで再び、小泉改革に期待した。

そして安倍政権は同じ路線を引き継いだのみならず、一般財源化の具体的項目として、ガソリン税に言及した。まともに考えれば、これらすべて、道路公団改革を諦めていないという強い決意を表す政治公約だ。

道路特定財源は、これまで一部を除き、道路公団が造る高速道路や有料道路の建設には使われてこなかった。とすれば、それがどこで道路公団改革につながるのかと疑問に思う方もいるだろう。だが、高速道路も道路行政の一部である。その道路行政に、毎年、黙っていても道路特定財源という巨額のおカネが流れ込むのである。2007年度で5兆4,000億円、じつに、日本国の防衛予算を上回る額だ。

これが一般財源化されたとする。国土交通省道路局が、まるで自分の財布からおカネを取り出すような感覚で使ってきた5兆円あまりの使い道は、今度は国民が見ている国会で審議されることになる。
そのとき必ず、どの道路が真に必要なのか、ムダなのかの仕分けが行なわれるはずだ。国道や県道、市道などの一般生活用道路に限らず、高速道路問題を含めた道路行政全般の議論をせざるをえなくなる。そこであらためて、高速道路を造り続けるのがよいのか、あるいは県道などの一般生活道路をもっと拡張したり便利にしたりするのがよいのか、が問われるはずだ。
現在、第二東名高速道路の建設が進んでおり、その平均コストは1キロメートルで150億円、他の高速道路に比べて3倍にも上る。だが、肝心の厚木以東、東京へのアクセスを造るメドはまったく立っていない。第二“東名”と言いながら、この高速道路では、最終目的地の東京に入ることさえできないのだ。となれば、そのような高速道路に際限もなく莫大な財源を注ぎ込むより、生活道路の整備のほうが重要だとの議論も起きてくるだろう。つまり、高速道路の聖域化に歯止めがかかっていくと思われる。
ガソリンの暫定税率問題は、この道路特定財源問題とセットで論じなければならないのだ。小泉、安倍両政権以来の公約は、明確な一般財源化だった。それは、道路に投入される税金の使い道の透明化と合理化の公約である。

にもかかわらず、自民党は今、暫定税率を10年間このまま据え置くという。一般財源化の公約が雲散霧消しているのだ。なんという裏切りか。

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「 もっと闊達にしたい改憲論議 」

週刊『週刊新潮』 2007年5月31日号

日本ルネッサンス 第265回




憲法改正の第一歩、「国民投票法」を読むと、改正案の発議には、衆議院では「議員100人以上」、参議院では「議員50人以上」の賛成が要件だと書かれている。各党が党毎にまとまると仮定しても、右の条件を満たすのは、自民党と民主党にとどまる。公明党以下他の全政党は、改正案を発議出来ないのだ。

直ちに二つの疑問が湧く。これで本当に国民各層を巻き込んだ活発な憲法論議が出来るのか、そして、憲法論議に官僚支配の影響が出るのではないかという点だ。

まず第一点について。日本が近代国家建設に取り組んだ明治時代、憲法作成のプロセスには驚くほど幅広い国民参加があった。江村栄一氏校注の『日本近代思想体系9 憲法構想』(岩波書店)によれば、全国で発表された憲法試案は主要なものに限定しても65種類もあった。憲法案を自ら書き上げるのは、なかなか、大変な作業だ。国家とは何か、国家を構成する国民の幸福と安寧を守るためには、どんな仕組が必要か。理想と現実を測りながら、大いなるエネルギーと時間を費やす仕事であり、それは、確かな国家観なくしては出来ないものだ。それを明治の人々は、村長から各界名士、政党まで、嬉々として試案を書き上げ、世に問うた。国造りにかける夢はそれほど大きかった。国民的議論となって沸騰した憲法論議の帰着点として、明治の人々は議会開設を待ち望んだ。どれほど待ち望んだか。32万人が署名したのだ。この数字の意味を、江村氏が前掲書で解説している。

「(当時は)現在の約三分の一の人口、一戸一人の署名、女性参加の社会的制約、交通・通信の不便などを考慮すれば、三十二万人弱という署名数は、現代の約三千万人くらいに相当する」と。

今回の国民投票法では、前述のように憲法改正の発議権が二つの政党に事実上、限られた。一般国民にも、国民の代表である政治家一人ひとりにも、発議権はない。しかし、多くの人が改正に思いを巡らし、多くの改正案をあたためているのではないのか。

゛政官〟攻防の歴史

国民投票法の施行は、3年先だ。その間に、国民各界各層、政治家各人が案を出し合い、熱い論議を重ねることを可能にすべきだ。100人や50人の賛成が必要な、いわば団体としての発議でなければ受理さえされない仕組では、一人ひとりが憲法について考えようという意欲も減退しかねない。自分が考えなくとも、党がまとめてくれるからそれに乗ればよいと考える政治家も出てくると思われる。

このように、100人、50人の要件は闊達な論議を鎮静化させる効果を持つ。それはまた個々の政治家に発議権を与えたくない官僚の企みにも思える。

そもそもアジアで初めて、憲法を定め、議会を開設した日本だが、その近代化の歩みは官僚主義の濃い影を宿していた。時の首相黒田清隆は、憲法発布の翌日、こう述べた。

「政党なるものの社会に存立するはまた情勢の免れざるところなり、然れども政府は常に一定の方向を取り、超然として政党の外に立ち、至公至正の道に居らざるべからず」

黒田の演説は「超然主義」という言葉を生んだ。それは統治者は政党や政治家に左右されてはならないということに尽き、国政の統治者は官僚であるということだ。政治は政治家に任せてはならず、天皇の官僚たちが統治すればよいという官僚至上主義、官僚中心主義である。

官僚主義は日本の政治風土を濃密に染め上げ、明治から昭和の敗戦まで、初代の伊藤博文以下、42代29人の首相が誕生したなか、選挙で選ばれ首相となったのは原敬、濱口雄幸、犬養毅の3名にとどまった(『政官攻防史』金子仁洋、文春新書)。

上の3首相はテロに斃れたが、金子氏は3名の共通項を「『官』の牙城を崩して『政』の統治領域を拡げようとした」と分析する。

官僚支配の構造は明治憲法の規定にも明確だ。政治評論家の屋山太郎氏が語る。

「明治憲法第54条に政府委員制度が規定されています。政府委員は即ち官僚のことです。国務大臣と政府委員は随時、国会に出席し、発言し得る、とされ、彼らは、大臣と同格の地位を与えられているのです。議会誕生以前から統治に関わってきた彼らは、あらゆる意味で、選挙によって選ばれた政治家よりも統治の詳細について知っていたのです」

政と官の攻防は、当初から官が優勢だった。議会開設以前から、政治に携わってきた゛官僚〟たち、彼らを軸とする統治の仕組は坂本龍馬らが古代日本の官僚制、太政官制度を下敷きとして編み出した。

官僚支配の改憲を許すな

これを変えようとしたのが、日本の全過去を否定した米占領軍である。彼らは現行憲法でこの官僚主義を排除し、政府委員についての規定も払い去った。ところが、官僚たちは甦ったのだ。国会法第69条第2項で゛内閣は、国会において国務大臣を補佐するため、両議院の議長の承認を得て政府委員を任命することができる〟旨、定めるのに成功した。

屋山氏が指摘した。

「かつては国会で質問された大臣が『それは大変重要な問題なので政府委員に答弁させます』などと答えるケースもあったのです。1~2年で交代する大臣が官僚に頼らざるを得ない状況はありますが、それにしても、重要事は官僚に任せるという考え方が伝統的に根強かったのです」

政官攻防の構図のなかで、政治家の劣勢は続き、他方、官僚は政治家に劣勢を感じさせないように巧みに補佐することで彼らを操ってきた。

この官僚支配と現在進行中の憲法改正作業はどう結びつくのか。前述のように、衆議院、或いは参議院で100名、50名の賛同者なしには発議出来ないとなれば、憲法改正は団体戦でしか闘えないということだ。多くの議員に支持される改正案でなければならない。それは各条文間に齟齬がないという意味で完璧なバランスがとれていなければならず、内容はより多くの、恐らく価値観も異なる政党や、信条の異なる人々にも受け入れられる平均的なものでなければならない。各議員が発議権を行使する場合の改正案とは、自ずと異なる内容になるだろう。現に、自民党の改正案は、現行憲法よりも尚、味も素気もなく、魅力のうすいものだ。平均的な考え、平均的な文章作りは妥協をはかる政治家や官僚たちの得意技である。

安倍晋三首相は、国民投票法の成立をうけて、自民党憲法草案の見直しを示唆した。その決意が党内外の闊達な議論と、幅広い国民の参加を促すことを期待したい。また、国家のあるべき形を求めるよりも摩擦の少ない平均値を求める官僚主義の排除にもつながることを期待するのである。

「 憲法改正、偽の衣を捨て去る時 」

週刊『週刊新潮』 2007年5月24日号

日本ルネッサンス 第264回





5月14日、憲法改正の手続きを定める国民投票法が参議院で可決、成立した。現行憲法は改正のための条件を規定しているにもかかわらず、60年間も、改正を実施する法律がなかった。その法律上の空白が埋められ、憲法改正を党是とする自民党が、立法の不作為を克服して公党としての公約を果たせる体制を、漸く作ったのだ。自分の任期中に憲法改正をやり遂げたいと語る安倍晋三首相の決意が窺える。

なぜ憲法改正が必要か。第一に憲法というものが、国家の根幹をなすものだからであり、またそれはその国民の価値観を反映させたものでなければならないからだ。周知のように現行憲法はマッカーサーの命令で作られた。特に9条は「天皇の地位、戦争放棄、封建制の廃止」に関する「マッカーサー三原則」の戦争放棄の原則が下敷きになっている。

マッカーサー案は以下の内容だった。「国家主権としての戦争は、廃止させる。日本は、紛争解決の手段としてのみならず、自国の安全を保持する手段としての戦争をも放棄する。日本は、その防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を維持する権能は、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない」

彼が日本に対して「自国の安全を保持する手段としての戦争」をも禁ずるつもりだったことを、日本人は忘れてはならない。彼は日本国から一切の自衛権を奪い去るつもりだったのであり、侵略を受けたが最後、日本人は座して耐え、侵略者に隷属せよ、それがいやなら、黙って滅んでいけという意味だったといえる。マッカーサーが心の奥深く、どれほど強い日本憎悪の感情を抱いていたかを窺わせる内容である。

憲法草案の起草に関わった民政局もこれには驚いて、「自国の安全を保持する手段としての……」の件を削除した。日本はこれでやっと、侵略を受けた場合は、自衛のための戦いをしてもよいと認められたのだ。

国家は本当に゛悪〟なのか

それでも、マッカーサーが日本国憲法の根幹に組み込んだ、日本国政府に対する類例のない強い縛りは、そのまま残った。軍を否定し、政府の権威も権力も否定し、他方で国民に対しては、権利と自由を強調した。マッカーサーが作らせた日本国憲法では、政府と国民は対立の構造に置かれ、従来の日本の善き風土であった政府と国民の間の信頼関係は姿を消した。

日本国憲法のなかの国家と国民の対立構造は、人類最初の近代憲法である米国憲法をみると、その成立ちや性格の必然性がよくわかる。指摘するまでもなく、米国は母国英国との戦いの炎のなかから生まれた。米国憲法が、英国の軛から逃れ為政者の圧政や悪政に決別するために、たとえば国民の直接選挙による大統領選出や、三権分立を通して国民の権利を保障する性格を強くしたのは自然の成行きだったといえる。

その4年後に生まれたフランス憲法は、革命で王権を倒し、旧体制を破壊し、国民一人ひとりの人権を保障する人権宣言の精神に基づいて作られた。ここでも国家と国民が対立の構図に置かれている理由も必然性も、よくわかる。

だが、批判だけでは何も生まれない。国家を゛悪〟や゛圧力〟と見做すだけでは、何も解決されず、そもそも国家の存在意義もない。そこで国家を構成する国民は、人間として人間に値する生活を営む権利があるという考えが生まれた。これを「社会権」と呼ぶ。「社会権」は、国家が社会権(国民の権利)を担保するためには、国家権力を行使しなければならず、そのための法的根拠を国家に与えなければならないとの考えにつながっていった。この考えを「授権規範」と呼ぶ。

こうして、憲法の目的は国家権力の濫用防止だけではなく、国家には国民のために積極的に果たす役割があるのだということが理解され始めた。国家を前向きに評価するこの新しい視点は、明確な傾向として各国憲法のなかに根づいていった。

日本の歴史を見ると、実は日本こそが、米国やフランスよりも遥か前から、米国については、その誕生のずっと前から、国家と国民の融合のなかで授権規範の考え方を実践していたことがわかってくる。近代憲法に限れば、日本はアジアではじめてそれを持ったけれども、欧米゛先進〟諸国には遅れていた。しかし、歴史を遡れば、゛先進〟諸国より遥かに早い段階で、彼らが目指す国家の前向きの役割を、日本国は体現していたのだ。それを示すのが、日本の2つの憲法、604年の十七条憲法、1889(明治22)年の明治憲法である。

日本人の゛知の精神〟

明治憲法は明治元年に出された゛五箇条の御誓文〟の精神に基づいて起草されたが、遡れば、それもまた、十七条憲法の精神を受けついでおり、共に日本人の生き方と価値観を濃厚に反映している。たとえば十七条憲法の第一条には「上和らぎ、下睦びて、事を論うに諧うときは、事理自からに通う。何事か、成らざらん」と書かれている。身分の上下を超えて問題を論議し、十分に皆が理解するときには、道理は自ずと通るようになり、物事が達成されると説いているのだ。

また、同憲法は賄賂を戒め、貧しき民の訴えに公正に耳を傾けよと説き、「信」と「義」の体現が政治の重要事だと強調する。人間の知の力は大宇宙の真理から生ずるとの立場で、人間の知の力を信ずる基本姿勢を保っている。

遥かな昔、私たちの先人が定めた憲法、国の姿は、和を基調とし、日本人一人ひとりの知の力を信ずる民主的な精神によって成り立っていたのだ。先人たちが日本国の形として書き残した価値観は現代にも十分通用するメッセージである。

強調すべきは、この十七条憲法の延長線上に五箇条の御誓文と明治憲法があり、日本国の形としての憲法は、時代を超えてつながっていること。それは国家というものが、ひとつの有機体のように、民族の文明を世代を超えてひきついでいくものであることを示している。だが、マッカーサーが作らせた現行憲法は、国家の継続性とも日本の価値観とも無関係だ。むしろ、日本的価値の全てと長き文明の流れをバッサリ切り捨てた。現行憲法は、真の意味で、日本人の憲法ではないのだ。だからこそ、改正が必要なのである。

国民投票法の成立で、木に竹を接ぐように不自然な形で与えられた現行憲法を変えるための第一歩が踏み出された。それでも改正への道は長く険しい。だからといって安倍首相は妥協を図り、改正のための改正に終わらせてはならない。改正が、真に日本国と日本国民のためになるよう、勇気ある提言を続け、全員で議論することが大事である。

「 憲法改正への道筋がついただけに惜しい国民投票法案が持つ2つの欠陥 」

『週刊ダイヤモンド』     2007年3月31日号

新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 684







憲法改正の手続きを定める国民投票法案が、4月中旬に衆議院を通過する見通しとなった。安倍晋三首相が政権の最大の課題とする憲法改正への道筋が、これで一応、つくことになる。



与党は民主党との調整を断念したと報じられたが、民主党内は複雑だ。同党には、党の意見はかなり与党案に反映されたとの評価があり、七割が与党に協力して法案を通すべきだと考えているというのだ。にもかかわらず、党執行部が反対のための反対に走るとしたら、間違いだ。



そんななか、安倍政権は数多(あまた)の批判を受けながらも、やるべきことをやっている。日本が1952(昭和27)年4月28日に独立を回復した直後に片づけておかなければならなかった課題を、これでまた一つこなすことになる。



とはいえ、与党修正案は公明党および民主党の要求を入れた結果、いくつか重要な欠陥を持つに至った。第一は、国家公務員法や地方公務員法の定める「公務員の政治的行為の制限」が適用除外となり、国民投票に関して運動を展開することが可能になっていることだ。



教育現場を取材して痛感するのは、いまだに日本教職員組合(日教組)の影響が非常に強いことだ。組織率が低下しているとはいえ、日教組の教師たちは運動に熱心だ。会議では必ず発言する。声は大きく物腰は強硬だ。他方、非組合員の教師は、数は多くても摩擦を好まない。理論武装もできてはいない。結果として、教職員会議は日教組の教師たちが主導する。



こうした事柄から容易に想像出来るのは、全日本自治団体労働組合などが公務員をまとめ、憲法改正反対運動の先頭に立つことだ。公務員が個人として憲法改正にどんな考えを持とうとも自由である。だが、政治的中立性が要求される公務員に、国民投票法に限って、その中立性を放棄させるのはおかしい。これは憲法改正派、護憲派のどちらにも、公正な結果をもたらすとは思えない。行政の中立性を保つためにも、この点はぜひ再考すべきである。



第二の欠陥は、マスコミ報道について規制を設けなかったことだ。公職選挙法によって、選挙報道には公正さ、中立性が求められる。マスメディアは各候補者を平等に扱うなど、自ら律しなければならない。にもかかわらず、国家の根幹である憲法改正に関する国民投票についてメディア報道の規制を設けないのはおかしい。選挙も重要だが、憲法に関する国民投票はなお重要だ。一律にメディア規制を否定するのでなく、公正な報道を促す手段として、規制は設けるべきだ。



日本はなぜ、斯(か)くも長きにわたって憲法改正をしてこなかったのか。これは、事あるごとに、日本の保守勢力を批判する「ニューヨーク・タイムズ」紙などでさえも投げかける問いだ。それほど、日本人は長きにわたって改憲の時機を逸してきたということだ。



憲法の専門家、駒澤大学の西修教授は、戦後40年の時点で米国を訪れ、日本国憲法作成にかかわった人びとを取材した。会った人物は10人以上。全員が「まだあの憲法を守っているのか」と驚いたという。彼らの反応に、西氏のほうが驚いた。彼らは、自分たちがつくった日本国憲法は、占領終了後に当然書き換えられると考えていたのだ。だが、さらに驚いたのは、憲法改正の手続きについて西氏がその規定の厳しさを説明したときだった。彼らの多くが、国民投票で過半数、国会の3分の2以上の賛成という極めて高い改憲のハードルについて、全く記憶していなかったのだ。なんと無責任なことだろうか。



だからこそ、「まだあの憲法か」と20年以上も前に呆れられた米国由来の憲法に縛られることなく、日本人の憲法を一日も早くつくるべきなのだ。そのために、民主党は党内意見に耳を傾け、国民投票法制定に協力せよ。安倍首相は法案の欠陥修正に力を入れよ。

「 改憲では日本文明を反映せよ 」

『週刊新潮』 ’05年11月10日号
日本ルネッサンス 第189回






憲法改正を党是に掲げて50年、自民党は10月28日、改正案を発表した。
懸案の9条は第2項を削除して「自衛軍」の保持を明確にした。

憲法を聖域化し、改正自体を悪としてきた護憲主義、日本のみに軍隊の保有を禁ずる異常性を打ち破る第一歩としての意味は大きい。その点において、自民党案を高く評価する。だが、前文を読んで愕然としない人は少ないであろう。それはテクノクラートの作品で、日本国への愛情も誇りも感じさせない代物だからだ。この種の改正案は、明らかに対症療法にすぎず、日本が直面してきた真の問題への解決にはつながらない。

この最終案を書き上げた自民党の人々には、再度考えてほしい。なぜ、私たちは日本国憲法を改正しなければならないのかと。憲法は国の在り方を示す基本で、国柄を表現するものだ。人に歴史があるように、国にも歴史がある。その人をその人たらしめてきた家族や故郷があるように、国にはその国をその国たらしめてきた文化文明、国土風土がある。だからこそ、憲法は、なによりもまず、日本の文化文明、国土風土を踏まえなければならない。憲法で国柄に触れる部分としては前文が最もふさわしい。

現行憲法は前文を含めた全条文が“日本らしさ”を否定する精神によって書かれたのは周知のとおりだ。

憲法学者で駒澤大学教授の西修氏は1984年から85年にかけて米国を訪れ、日本国憲法の作成に関わった米国人で、当時健在だった10名ほどに取材し、出版した。彼らは一様に「まだ、日本人はあの憲法を守っているのか」と言ったそうだ。そのひとり、民政局行政部長を務めたC・ケーディス氏が述べている。
「私たちが憲法草案を起草したとき、最終的な憲法を書き上げようとは思っていませんでした」(『日本国憲法の誕生を検証する』学陽書房)

民政局で国会議事録、新聞要録を担当したハウゲー氏は、憲法作成を命じられたが、そのための素養を持っていなかったと認めたうえで、「荷が勝ちすぎてあまりにも困難な仕事だと思いました」と述べている。

民政局で公務員制度を担当した
M・エスマン氏も「アメリカの軍人や弁護士によって起草された憲法は正当性を持ち得ないと思っていた」と語っている(前掲書)。


天皇制をどう捉えるか

日本についての知識も理解も不足していた人々が、彼ら自身も正当性を否定しつつ作った現行憲法だからこそ、改正にあたっては日本人の憲法としての正当性を持たせる内容、つまり、日本文明を反映した内容にしなければならないのだ。

にもかかわらず、自民党改正案の前文は「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」と書き出し、続けて「象徴天皇制は、これを維持する」と素気なく書き放っている。なんという無機質な表現か。

天皇制はこの国の中枢で息づき、幾多の試練を経て125代にわたって存続してきた。祭祀を司る天皇家はまさに日本の精神文化を凝縮した存在であり、天皇制抜きでは日本文明は、良くも悪しくも語り得ない。それを自民党案は「象徴天皇制は、これを維持する」という13文字で片づけたが、そもそも、象徴天皇制こそ、占領統治下で作り出された天皇家の在り方だったのではないか。「自らの意思と決意に基づき」新憲法を制定するのなら、日本の国柄の軸でもある天皇制について、もっと心を通わせることの出来る表現があって然るべきだ。

 ちなみに自民党の元々の案、素案では、「天皇を国民統合の象徴としていただき、和を尊び、多様な思想や生活信条をおおらかに認め」てきたのが日本人であることが強調されている。古来の神道に加えて仏教をも受け容れた聖徳太子の時代から、日本は和を尊びつつ、実におおらかな精神文明を築いてきた。その文明の統合の証しとして、天皇制をいただいてきたとの表現は、史実であり、継続したい伝統である。

これら全てを削除したうえでの最終案の13文字には、もはや日本の香りも、文明の片鱗もないのである。

同じく最終案は日本の国土風土には全く触れていないが、素案では日本の国土は「アジアの東、太平洋と日本海の波洗う美しい島々」と表現された。日本国民は「自然との共生を信条」とし「美しく豊かな地球環境を守るために力を尽くす」ものであるとの誓いも述べられている。

日本人の自然への慈しみは、外国の人々に強烈な印象を残してきた。開国前年の1857年に初めて長崎湾を訪れたオランダ海軍の教育隊員ポンペは、「乗組員一同は眼前に展開する景観に、こんなにも美しい自然があるのかと見とれてうっとりした」と書き残している(『逝きし世の面影』渡辺京二・葦書房)。

 幕末から明治8年までの13年間を日本ですごしたプロシア領事、のちにドイツ公使を務めたブラントは日本の自然を「不断の喜び」「無上の慰め」と表現した(前掲書)。


自国への誇りと尊敬

精神文明の基盤としての日本の自然はこのようにかつて世界に賞賛された。自然を尊ぶ日本人の心情を謳いあげ、美しく豊かな地球環境に寄与するとの素案の決意は、広く世界に共感を呼ぶに違いないだろうに、最終案では削除されているのだ。

かねて注目されていた「愛国心」に関して、素案は「国を愛する国民の努力によって国の独立を守る」と明記されていたが、最終案では、これまた「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る……」と変えられた。愛国心という言葉を憚る余りのまわりくどい表現で、笑えてしまう。

自分を愛し信頼することの出来ない人間が、真に他者を愛し信頼することは難しい。国家も同様だ。愛国心や自国への誇りを尊ぶことは諸国に共通する価値観で、その精神的価値観を欠落させている日本の現行憲法こそがいびつである。「正統性を持ち得ない」という前述のエスマン氏の言葉はその点を指摘したものだ。自民党最終案は残念ながら、自国への愛と信頼を表現するという最も重要な点に応えておらず、失敗作である。

9条の改正やよし。軍事力の保有は国家として当然で9条2項の削除は高く評価する。だが、単に軍事力の保持を認めればよいのではない。駐日フランス大使を務めた詩人のP・クローデルは第二次大戦中の昭和18年にパリで語った。「日本人は貧しい。しかし高貴である」と。

真の武人が、自らの力の効果を知るゆえに他者へ深い想いやりの心を持ち、素養と自らへの信頼故に武力による横暴を慎むように、日本国は軍事力の保持を明確にすると同時に、気品ある国家になるべきだ。その意味で、9条と前文の改正は、一対でなければならない。自民党案前文の全面的書きかえを望むものだ。

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プロフィール

櫻井よしこ Yoshiko Sakurai

職歴

1971~74
クリスチャンサイエンスモニター紙
東京支局勤務
1975~77
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  記者
1978~82
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  東京支局長
1980~96
TVニュースキャスター
1980~現在
ジャーナリスト

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