カテゴリー:外交

「 あぶない菅民主党外交の基盤 」

『週刊新潮』 2010年7月8日号
日本ルネッサンス 第418



菅直人首相が外交デビューしたカナダでの主要8ヵ国首脳会議(サミット)は、氏の外交音痴を曝露する場となった。

夕食会で、首相はいきなり「中国をG8に呼ぶことを考えてもいいのではないか」と提案したのである。G8は民主主義、国際法の遵守、知的財産の保護、人権擁護など、多くの価値観を共有する先進諸国の枠組みだ。その点でロシアを招じ入れたこと自体に疑問が抱かれている。異常な軍拡をはじめ、殆どの分野で価値観を異にする中国招聘の提案は結局、どの首脳からも無視された。

一体、どのようにして、この日本提案が生まれたのか。外務省高官は「事前の議論は全くなかった」と語る。首相の思いつきなのである。国際政治における思いつき発言がどれほど手痛いしっぺ返しとなり、国益を損ねるか、菅首相は鳩山前政権から学んでいないのだ。

首相は、6月11日の所信表明演説で「責任感に立脚した外交・安全保障政策」に触れ、「私は若いころ、イデオロギーではなく、現実主義をベースに国際政治を論じ、『平和の代償』という名著を著された永井陽之助先生を中心に、勉強会を重ね」たと語った。

永井氏は『平和の代償』(中央公論社、1967)によって世に出た学者だが、その18年後、主張を豹変させた。氏の学説の変遷については後述するとして、首相が心酔する永井氏は同書で何を訴えたのか。

同書を世に問うたいきさつを永井氏は、自分は「政治意識や政治行動の研究に従事してきた」が、突然、「専門外の国際政治の領域で、最初の単行本を出すという奇妙なめぐりあわせになってしまった」と、「あとがき」で記している。直接の動機は米国留学中に「キューバ危機に直面したときの衝撃」だそうだ。


非現実的な大言壮語


突如、国際政治の厳しさに目覚めた氏は、同書で「現実主義」を強調した。「日本の革新勢力の根本的な誤り」は外交や国際政治で出来もしないラジカルな主張を展開し、国内政策では反対に「十九世紀的思考の枠に閉じこめられ、保守的、よくいえば、現実主義的であること」だと断じている。この2つの傾向を逆転させなければならないとして、「国際政治と外交政策の面では、もっと徹底的に、現実主義的とならねばならない」、「国内政治と社会の領域では」「社会主義と現状変革のエネルギーを最高度に動員」せよと説いた(105~106頁)。

日本は「民主的社会主義社会」を創造すべきなのであり、それは「マルクスが描いたよう」な「経済・社会・政治制度が人間の価値創造の手段として従属されている」社会だとも主張した(104頁)。

マルクス主義的社会を創り、徹底して現実的な外交を展開せよというのだが、それはどんな外交か。たとえばベトナム戦争に日本がどう対処すべきかについては、こう書いた。

「ベトコンを交渉相手として承認すべく米国を説得し、対ソ接近の機会を通じ、米ソ間の意見を調整し、北ベトナムにも働きかけ、和平交渉の道を進めるイニシアチブをしだいに強化していく」(103頁)。

この本が67年に書かれたことは先述した。日本はその3年前に東京オリンピックを開催したが、五輪開催に合わせて名神、首都高速道路を作った。資金はIMFから借りなければならなかった。まだ貧しく、力も不十分だった日本が、東西冷戦の盟主だった米ソの間に立って意見調整をするというのだ。徹底的な現実主義を叫んだ自身の言葉に、氏自身が著しく反している。出来ないことを大言壮語した点で鳩山由紀夫氏と近似する。鳩山氏を副総理として支えた菅氏は永井氏の信奉者だ。その伝では菅氏こそが「非現実的な大言壮語」子なのか。

永井氏は日本の防衛の在り方の筆頭に「自主外交」を挙げ、それは「米国に対して、政治的に信頼感と安心感を与える方向」の自主外交だと解説する。日本の防衛努力を、「米国に安心感と信頼感を与え、しだいに安保体制から離脱してゆく前提条件」と位置づけ、「狭義の防衛費は、(中略)最大限、国民所得の二%程度までは、常識的にやむをえない」(129~130頁)と明言している。

当時はまだGNPなどの表現は使われていなかったが、氏の主張は、国防費を従前より大胆に増額せよというものだ。現在の表現ではGNPの2%に引き上げよ、倍増せよということで、これこそ、菅氏が「名著」と讃えた『平和の代償』の重要な主張である。

「永井先生との議論を通じ、相手国に受動的に対応するだけでは外交は築かれないと学びました」と内閣総理大臣としての所信を表明したからには、防衛費を倍増する覚悟があるのか。それとも、菅氏もまたその師同様、いとも簡単に主張を変える人間なのか。


「吉田ドクトリン」を賛美


先述のように、永井氏は右の「名著」出版から18年後、主張を全面転換させた。1985年に出した『現代と戦略』(文藝春秋)で、氏は、国防費2%とは打って変わって国防費を最小限にとどめ、経済活動に邁進するという、いわゆる「吉田ドクトリン」なるものを賛美した。

先に進む前に、吉田ドクトリンなるものは存在しなかったことを確認しておきたい。この点については田久保忠衛氏が85年9月号の『諸君!』(文藝春秋)で詳述済みである。

永井氏は『現代と戦略』の第Ⅱ章を「安全保障と国民経済--吉田ドクトリンは永遠なり」と題して、「戦後日本の正教ともいうべき吉田ドクトリンは、一九五二年の吉田=ダレス会談の交渉によって確立され」たなどと書いている。

吉田が「軽武装・経済重視」路線を是としていなかったことは、首相退任後の発言や1964年11月19日付の辰巳栄一氏への書簡などからも明らかだ。書簡には再軍備に反対し、正規軍を作り得なかった件について、「国防問題の現在につき深く責任を感じているのは、先日、申し上げた通りであります」と書き、再軍備の必要性について佐藤栄作首相にも、三木武夫自民党幹事長にも自分の思いを伝えてある、君(辰巳氏)も、この点について政治家の啓発に努めてほしいとの希望が記されている。

吉田が軽武装・経済重視策を是としていた事実はないのである。であれば、それを「吉田ドクトリン」として確立させることなど、あり得ない。にも拘らず、なかったことをあったとするのは、学者にあるまじき捏造であり虚言である。永井氏の真意はどこにあるのか、2%か、偽りのドクトリンか。不明である。菅氏の外交政策が、水と油のような両極端の主張を展開した人物への信奉から生まれていることに、大いなる危機感を抱くものだ。

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「 中国軍の脅威、問題外の日本の対応 」

『週刊新潮』 2010年5月20日号
日本ルネッサンス 第411回



東シナ海で進行中の事態はまさに日本の危機であり、異常事態だ。


奄美大島の北西320キロメートル、東シナ海の日中中間線から日本の排他的経済水域(EEZ)に40キロも入った海域で海上保安庁の測量船、「昭洋」が5月3日、中国の調査船に追尾されたのだ。

そこは日本のEEZである。どんな調査をしようが、国連海洋法で認められた日本の権利である。にも拘らず、中国側は「昭洋」につきまとい、作業中止に追い込んだ。中国は東シナ海における中間線を認めず、沖縄トラフまで全て中国の海だと主張してきたが、いまや、言葉だけでなく行動で主張を実現し始めた。

海保によると、「昭洋」が中国の調査船「海監51」の接近をレーダーで確認したのは5月3日14時頃だ。

中国には海軍とは別に国家海洋局所属の海監総隊がある。一昨年12月8日、日本固有の領土である尖閣諸島領海に中国海洋調査船2隻が侵入した。「海監46」と「海監51」で、海監総隊の所属である。

「海監51」は今回、14時20分頃に「昭洋」に接近、14時30分には国際VHFで「当該海域には中国の規則が適用される。調査活動を直ちに中止せよ」と通告した。「昭洋」は「当該海域は日本の大陸棚であり、国際法による正当な調査だ」と返した。

「昭洋」はそのとき海底の地殻構造調査を行っていた。海底の何ヵ所かに地震計を沈め、船上から音波を発し、はね返ってくる音波の分析から地下構造を解明する。「昭洋」が約10ヵ所に地震計を沈め、音波実験を済ませて、地震計の回収に入ったとき、「海監51」が接近したのだ。

ちなみに地震計は、船上から信号を発して機器を浮上させて回収する。浮上に少々時間がかかるため、それぞれの機器は一定の時間をおいて浮上させ、回収する。周辺に船がいると、船体にぶつかって機器が壊れたり、データが失われたりする危険性がある。中国船の側に浮上すれば、機器を奪われる可能性さえある。


危険かつ侮蔑的な行動


「海監51」が接近したとき、「昭洋」はそう判断して、南東(奄美大島)方向の海域に沈めていた地震計を先に回収しようと移動を開始した。海保の担当者が語った。

「それでも中国船は接近してきました。最接近の距離は1キロ弱です」

海上の1キロは殆ど至近距離だ。小回りが利きにくい船にとって、衝突の危険さえある距離なのだ。

「海監51」は14時30分に警告第一声を発したあとも、「中国の規則が適用される海だ」「調査を中止せよ」と繰り返しつつ、「昭洋」を追尾した。追尾は16時30分まで続き、やがて「海監51」は進路を変え、17時45分、「昭洋」のレーダーから消えた。

結局、2時間10分にわたって、海保は中国に追い回された形である。しかし、海保担当者はこう語る。

「我々は、調査を無事に完了するために、別の海域に移るのが賢明だと判断したのです。地震計は翌日、全て無事に回収し、その他の作業も6日には完了しました」

「海監51」に追われて逃げたのではないという説明だが、果たして中国側はどう受けとめたか。彼らは、単に日本側の移動に合わせて伴走したとは考えなかっただろう。実力行使をすれば、日本は引き下がると実感したはずだ。まともな国なら、自国の海に入り込んできた外国船が調査中止を命じたとき、大人しく引き下がることはあり得ない。海保が「穏やかに」対応せざるを得ない背景に、日本外交の惨状がある。

「昭洋」事件のひと月前、10隻の中国海軍艦隊が東シナ海で軍事訓練を行ったあと、沖縄本島と宮古島の間を通過した。東シナ海中部海域で訓練をする中国艦隊に、海上自衛隊は監視体制を敷いた。当欄でもすでに紹介したが、その海自の艦船に中国のヘリが、高さ30メートル、距離90メートルまで異常接近した。自民党衆議院議員、小野寺五典(いつのり)氏は「もしこれが日中逆の立場であれば」「完全に撃ち落されているのではないか」と、4月14日の衆院外務委員会で述べている。

それほどの異常接近であり、日本への侮りとしか思えない同事件が起きたのが4月8日だった。問題は、同件についての政府発表が13日まで、5日間も遅れたことだ。その間の12日、鳩山由紀夫首相と中国の胡錦濤国家主席がワシントンで首脳会談をした。首相は厳しく抗議しなければならないはずだが、同件を話題にさえしていない。発表の遅れは、鳩山首相が中国の非に抗議しなくても済むような状況を作ろうと、外務省、或いは官邸が画策したのではないかとの推測が広がったゆえんである。

中国海軍の危険かつ侮蔑的な行動に関する情報は、防衛、外務、首相ら閣僚にどのように伝わったのか。国会議事録から見てみよう。


抗議ではなく「申し入れ」


防衛政務官の長島昭久氏が4月20日の外交防衛委員会で自民党の佐藤正久議員の質問に答えて、事実関係を以下のように語っている。

4月8日11時頃、警戒監視中の海自護衛艦「すずなみ」に中国海軍のヘリが異常接近。同14時頃、「すずなみ」から統合幕僚監部に連絡、15時頃、統幕から内局事態対処課に連絡、18時20分防衛大臣以下政務三役に報告が上がる。18時30分、外務省に連絡し、中国政府への申し入れを依頼、ほぼ同時に官邸に報告した。

これが防衛省側の動きだが、午前11時に起きた異常事態が大臣ら三役に報告されるまでになぜ、7時間20分もかかったのか。これで危機に対処出来るのかという疑問は湧く。しかし、防衛省としては、大臣らが情報を受けたあとは、外務省、官邸に迅速に情報を伝えてはいた。

では、外務省に入った情報はどうなったか。岡田克也外相が同情報を知ったのは、なんと12日だった。

21日の外務委員会でも小野寺氏は、防衛省が8日18時30分、外務省、官邸に連絡したにも拘らず、12日まで4日間もなぜ外相に伝わらなかったのかと質した。

岡田外相はこう答えた。

「4日間といいましても、9日が金曜日でありますので、10、11日は土日ということで、12日は月曜日になるわけです。報告が上がってきたのは12日の昼頃であります」

国家の危機管理に金曜日も、土日もあるものか。この種の危機意識の薄さが、国家の大失態につながるのは歴史の示すところだ。

外務省は12日になって初めて中国側に、抗議ではなく「申し入れ」を開始した。外務省の「申し入れ」を確認した防衛省は、13日に情報開示に踏み切った。その間、鳩山首相は前述のように胡主席との首脳会談を終えた。勿論、事件への言及は、一言もなかった。

日本の中国外交の見直し、海保、海自の力の充実、日米安保体制の強化の必要性が痛感される事例である。

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「 国益の『嘘』と私益の『嘘』 」

『週刊新潮』 2010年4月8日号
日本ルネッサンス 第406回



鳩山由紀夫首相は、ひょっとして、“病気”なのではないか。こんな言い方は首相でなくとも誰に対しても失礼なことだと承知してはいるが、普天間飛行場移設問題に関する首相発言の変遷は、それほど異常である。

首相は3月29日夜、こう語った。

「今月中じゃなきゃならないということは法的に決まっているわけじゃない」

国民は皆、3月末までの移設先決定を定めた法律などないことは承知している。「3月末」は法律ではなく、首相自身が繰り返した「公約」だったと、皆が知っている。事実、首相は以下のように語ってきた。

・「沖縄の皆様方にも、アメリカにも理解をいただけるそういった案を3月の間に、政府として考えをまとめたい」(3月5、参議院予算委員会)

・「3月いっぱいにはまとめる。それは約束する」(3月24日、記者団に)

・「3月いっぱいを目処に政府案をまとめる努力をしている」(3月26日、記者会見)

このように複数回、首相自身が繰り返してきた言葉をすっかり忘れたかのように、29日になって、「そんな法律はない」と言うのである。首相の頭の中の回路はどのように混線しているのか、知りたいと思うのは私だけではあるまい。

この種の「真っ赤な嘘」の繰り返しが首相迷走の実態である。何度経験しても、私は首相の「嘘」に馴染めない。とりわけ、国民と同盟国に向かって嘘をついているという些かの自責の念も感じさせないツルリとした表情を正視するのは耐え難い。そして世の中には二種類の嘘があると実感する。

政権交代を目に見える形で示したいと強く希望する岡田克也外相の肝煎りで、日米間の「核密約」問題の調査が進められた。有識者委員会は対象を4つの密約に絞って検証を進めた。①核を積んだ米艦船の一時寄港、②朝鮮半島有事の際の在日米軍基地からの作戦行動、③有事における沖縄への核の再持ち込み、④沖縄基地返還に伴う費用の肩代わりだ。

有識者委員会は①の密約はあった、②は事実上失効した、③は密約とはいえない、④は狭義の密約には当たらないと結論づけた。


必要な密約


外相は検証結果を「追認」したものの、不満気だった。日米外交が、全詳細を白日の下に晒しても一片の嘘も交えていなかったと言えるだけの「正直」な外交ではなかったためであろうか。しかし、そんな真っ白の外交は現実にはあり得ないと、国民の方は実感しているだろう。

たとえば、①について、日米両政府の事前協議がなかったからといって、全ての米艦船が核を積んでいなかったと信じてきた日本国民はそうはいないだろう。74年にはラロック退役海軍少将が、81年にはライシャワー元駐日大使が証言して、米艦船の核持ち込みが大ニュースとなった。以来、多くの日本国民は核持ち込みを公然の秘密と見做してきた。

有識者委員会はこの点の従来の政府説明を「嘘を含む不正直」な説明としながらも、「冷戦下における核抑止戦略の実態と日本国民の反核感情の調整は容易ではなかったという事情を考慮すべき」と指摘した。

外交交渉の議事録などを、30年なら30年と区切って、一定期間が経過した後に公表することには私は大賛成だ。日本外交がどのように展開されたのか、相手国の戦略はどうだったのかを具体的に知ることは、日本の外交にとって重要な指針となるはずだ。密約の検証も、その時代背景の中に身を置いて学びの材料とするのであれば非常に有益であろう。

しかし、岡田外相の姿勢は、基本的に後ろ向きで、過去の「密約」の暴露に大きな関心を寄せている。たとえば③の有事の際の核持ち込みについて、有識者委員会が密約とは認めなかった点について、「常識からみると、これこそ密約ではないか」と、歴代政権を批判した。

外相を擁護すれば、氏が「私は岸信介首相、佐藤栄作首相の立場であれば、こういうもの(密約)なしにできたか自信を持てない」とも、述べていることだ。

全て歴史を考えるとき、現在の価値観に基づいて判断するのでなく、その時代に立ち戻って考える姿勢こそ、重要である。60年の安保改定から72年の沖縄返還、さらにその後も、日本には社会党を主勢力とする厳しい反核・反日米安保の世論が満ちていた。ソ連は社会主義陣営の盟主として深刻な脅威を及ぼしていたし、返還前、日中間には国交もなかった。

こうした状況下で、日本に寄港する米艦船に核搭載を拒否することは、日本の安全保障を危うくしたはずだ。また、そのような条件で沖縄返還を要求することは不可能だっただろう。

沖縄県民を含む国民の悲願だった沖縄返還を実現するには、必要な密約だったといえる。


首相の「嘘」は日本の悲劇


佐藤首相の密使として密約交渉に当たった若泉敬氏は、交渉の全容を記した著書に、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』という題をつけた。核抜き本土並みという看板の背後で密約を交わし、核持ち込みを許した、国民に「嘘」をついた、沖縄県民に過度な基地集中による負担をかけることになったと、自らを責めながら、それでも当時の厳しい情勢下では「他に手はなかった」と悲痛な思いを吐露しているのである。

同書に紹介されている秘話のひとつに、沖縄返還は米国側からの提案だったというライシャワー元大使の証言がある。日本に赴任した61年以来、元大使は、100万もの日本人を米国軍政下に置き続けることの難しさを認識し、「本土並み」の条件での返還を米国政府に提言したというのだ。

大使を辞任した66年に、国防総省と国務省の合同委員会が設置され、沖縄返還問題が検討され始めたという。佐藤首相は当初、米国に沖縄返還を要求するのに非常に慎重だったとも、記されている。

返還交渉の複雑さを描いた若泉氏は、『他策……』を世に問うた2年後の96年7月に死亡した。今年3月11日の「朝日新聞」は、氏が覚悟のうえの服毒自殺を図っていたと報じた。

自決しなければならない理由は、到底、第三者にはわからない。ただ、沖縄返還当時、米紙東京支局の助手として度々お会いしたその常に真摯な姿勢を思い起こし、氏の冥福を改めて祈るものだ。

氏の交わした「密約」は、検証結果で「嘘」と罵られようとも、それは国家国民のための策だった。公の利益、国益のための「嘘」である。ところが鳩山首相の嘘は、自らの失敗を覆いかくし、失言を取り繕うための「嘘」である。利他と国益の「嘘」、利己と私益の「嘘」。この二つの内、許し難いのは言うまでもなく鳩山首相の「嘘」である。私はそれが日本の悲劇だと思う。

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「 米国の医療保険制度改革と中国の影響力増大の懸念 」

『週刊ダイヤモンド』   2010年4月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 832


米下院は3月21日の日曜日深夜の本会議で、オバマ大統領の悲願である医療保険制度改革法案を成立させた。過去100年間、セオドア・ルーズベルト大統領以来、誰も成し遂げ得なかった改革を実現させたことで、オバマ大統領は歴史に名を刻んだといえる。

大変革だけに現実は厳しさを伴うだろう。それにしても、オバマ改革は米国をどのような方向に変えていくのか、米国の対外政策に、どのような長期的影響を与えるのか、尽きない関心を抱かせられる。

1年半前、オバマ氏は国論を統一して超党派で医療保険改革を成し遂げると公約したが、現実は正反対だった。共和党議員全員が反対したのみならず、民主党からも30人以上の反対者が出て、議会には深い亀裂が生じた。

世論も賛成41%、反対54%(ラスムセン全米世論調査)で、反対が賛成を13ポイント上回って二分された。

メディアも同様だ。「ウォール・ストリート・ジャーナル」(WSJ)紙は3月22日付の社説をこう締めくくった──わが社は同法案に激しく反対してきた。われわれは他国の政府管掌保険を検証し、それが高い税負担、経済の低成長および医療サービスの質の低下を生じさせていることを認識するからだ。(オバマ大統領は)政治的に最初の国民の審判を11月(の中間選挙のとき)に受けるだろう。

他方、「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)紙は、改革絶賛の社説を掲げた──法案可決は歴史的成果で、時の経過とともに医療保険は劇的に変わる。新医療保険は現行の社会保険制度やメディケア(高齢者向けの公的保険)に比肩する重要性を帯びる制度となる。

インドネシアへの外遊予定を取りやめ、大統領自ら議員らの説得に当たって成立させた「オバマ・ケア」は、米国の医療をどのように変えるのか。

1961年以来、国民皆保険が当たり前になっている日本人には驚きだが、米国の総人口約3億人のうち、医療保険未加入者は5,500万人に上る。オバマ・ケアで2019年までに3,200万人が保険に加入するが、2,300万人は取り残される。うち三分の一が不法移民とその残留者だ。改革に必要なコストは10年間で9,400億ドル(約85兆円)。財源はどこにあるのか。

オバマ・ケアを支持する「NYT」紙などリベラル系のメディアには楽観的見通しが並ぶ。たとえば、「メディケアの支出削減、ムダの排除、民間の高額保険加入世帯への課税、富裕層の投資や資金運用利益への課税によって、85兆円が捻出できるだけでなく余剰が出る」という具合である。

対して「WSJ」紙はこの種の楽観論を否定し、紙面で、一般世帯への負担は、年額695ドル(約63,000円)もしくは年収の2・5%の課税となる、保険業界など産業界への負担が10年間で1,080億ドル(約9兆7,200億円)に上るなどと具体的に指摘するが、「ムダを削って捻出する」という楽観論者の主張は突き崩せていない。鳩山民主党が、総選挙のキャンペーンで、ムダを省いて子ども手当などの財源を確保すると公約したのに対し、自民党が反証し得なかったのと似た構図でもあろう。

日本からの視点として問題になることの一つは、弱者救済という、どう見ても政治的に正しく、否定しがたい政策の、米国経済にもたらす影響である。米国はすでに国内経済立て直しのために中国による国債購入に深く依存する。そのために米国はアジア外交で中国に遠慮せざるを得ず、負の影響を受けている。医療保険改革でそのような傾向がさらに強まり、米国の中国への気兼ねが強まれば、日本周辺、西太平洋、インド洋での負の影響はより深刻化するだろう。医療保険改革さえ、西太平洋やインド洋の安全保障に結び付けて考えざるをえないほど、中国の脅威が高まっているということだ。


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「 捕鯨、怯まず正しさを主張せよ 」

『週刊新潮』 2010年3月4日号
日本ルネッサンス 第401回



2月21日、豪州を訪れた岡田克也外相は、西海岸の町、パースでスミス外相と会談した。世界屈指の美しさで知られるパースの自然とは対照的に、会談では鯨問題を巡る険しい対立が浮き彫りにされた。

南極海での日本の調査捕鯨に対して、米国の反捕鯨団体シーシェパード(SS)の妨害が続いているのは周知のとおりだ。SSは、本部を米国に置き、カナダ、豪州、ニュージーランドなど複数国のメンバーで構成する。彼らの3隻の船籍はオランダ、ニュージーランドに分散されている。

SSの活動は豊富な資金に支えられ、年々激化してきた。失明の恐れのあるレーザー光線を捕鯨船に向けて発したり、スクリューに巻きつけようと船の後方にロープを投げ入れたり、人命損傷や船の大破につながりかねない攻撃はテロに等しい。

にも拘らず、SSに、日本の捕鯨船攻撃のための「母港」を提供する豪州政府は、日本政府の出入港の禁止の要請を拒否し、国際司法裁判所に日本を提訴すると表明した。

本来なら貿易、環境、安全保障面で二国間関係を深める前向きの協議にならなければならないところを、両国外相会談は鯨問題で躓き、むしろ、摩擦を生み出しつつある。

私は、捕鯨問題からどうしても満州事変を連想してしまう。ワシントン体制で定められた国際条約を踏みにじり、日本を挑発し続けた中国に、日本が遂に行動を起こしたのが同事変である。駐中国米公使マクマリーは、事変を起こした日本を厳しく批判しながらも、そこに至るまでに、いかに日本が国際条約を守ろうと誠実に努力したかを強調したうえで、「満州事変は中国が自ら蒔いた種を刈り取っているようなものだ」と述べた。真の責任は中国にあると断じたわけだ。が、国際社会は中国に同情し、日本を悪者扱いした。


中曽根元首相の妥協

捕鯨問題では、国際捕鯨委員会(IWC)の決定から見ても、国際法から見ても、正しいのは日本である。間違っているのはSSと彼らを支える反捕鯨諸国である。しかるに、国際社会にテロリストと見紛うSSへの支援の輪が厳然として存在するのはなぜか。38年間、捕鯨問題を研究してきた水産ジャーナリストの会会長の梅崎義人氏は、日本政府の重ねた妥協が原因だと語る。

「IWCは1982年に、3年後の85年から商業捕鯨を中止してモラトリアムに入ると決定しました。しかし、モラトリアムに必要なIWC科学委員会の勧告は得られず、同宣言は無効のはずでした。このとき日本は決定に異議を申し立てて商業捕鯨を続けようとした。事実、ノルウェーはIWCの決定を不当として従わず、現在も商業捕鯨をしています」

が、思わぬことが起きた。日本政府が腰砕けになったのだ。

「異議申し立てに、官邸から中止の指示が下ったのです。中曽根康弘元首相でした。米国も、日本が異議申し立てで商業捕鯨を続けるなら、米国の海岸から200海里以内の日本の操業を禁止すると、強い圧力をかけました。日本は引き下がりましたが、ノルウェーは、捕鯨をやめればシシャモが全て鯨に食べられて沿岸漁業が潰れるとして突っぱねたのです」

85年といえば、中曽根元首相の靖国神社参拝を、中国が初めて批判した年だ。氏は批判に屈して翌年から一切の靖国参拝をやめた。以来、中国は日本非難の靖国カードを手に入れ、今日に至る。

中曽根元首相は、氏の国際外交の基本は「右手に禅、左手に円」だと述べた。日本文化を高く掲げ、経済力と合わせて国際社会に地位を築くという意味だ。実際には、しかし、氏は日本の価値観の象徴である靖国参拝を放棄し、伝統的食文化を支える捕鯨でも、妥協していたわけだ。

こうして日本は商業捕鯨から撤退し、87年から調査捕鯨の時代に入った。確かなことは、調査捕鯨はIWCが認める合法活動だということだ。だが、SSもグリーンピース(GP)も違法かつ危険な妨害をやめないのである。

この1年、政府は一体どんな手を打ってきたのか。梅崎氏が語る。

「政府はオランダ政府にはSSの船の船籍剥奪を、豪州政府にはSS船の豪州の港への出入りを禁止するよう、要請してきました。けれど、両国から回答はなかったのです」

回答も得られず、1年が過ぎた。そして昨年10月に来日したオランダ首相、バルケネンデ氏に鳩山由紀夫首相が「旗国としてのきちんとした対応」を求めた。オランダ政府は今年2月5日までに、妨害船の船籍剥奪を可能とする船籍法の改正案を議会に提出した。対照的なのが豪州政府だ。前述のように、岡田外相に「出入港を禁止する法的根拠はない」と、拒否回答をした。


無意味な個人的嗜好論

ケビン・ラッド労働党党首は07年の総選挙で「日本の調査捕鯨の違法性を国際法廷で訴える」との公約を掲げ、環境団体の支持も得て、首相に就任した経緯がある。政権には、GPの元理事、ピーター・ギャレット氏が環境大臣として入閣している。

親中派のラッド政権は、誕生当初から厳しい対日政策を展開し、政権発足翌年の春、18日間の外遊に出たが、欧州、米国、中国を訪れながら、日本には立ち寄りもしなかった。

GPとSSは、表向き別団体ではあるが、両者は協働関係にあると見てよいだろう。過激で、違法行為も厭わない両団体に代表される環境保護勢力が、ラッド首相の有力支援団体のひとつであるなら、同首相は政治的思惑からも、日本に不当な圧力をかけ続けると考えてよいだろう。

では、日本政府はどう対応すべきか。まず何よりも事実を前面に押し出し、日本の立場を主張しなければならない。IWCの科学委員会は、日本が実施してきた精緻な調査結果を非常に高く評価し、一定数の鯨の捕獲を必要と認め、支持してきた。だが、総会では、科学が置き去りにされ政治的思惑が前面に躍り出る。

それでも、SSなどの挑発に乗って力による紛争を起こすことは得策ではない。その代わり、断固たる法的措置と、なお粘り強く、決して負けない説得が必要となる。鯨が食べる魚の量は年に約4億トン、人類の年間漁獲高9,000万トンを大幅に超えていることなど、日本の科学調査結果の周知徹底とともに、日本の食文化として鯨の位置づけをこそ、語らなければならない。

幸いにも、豪州にも米国にも、一方的に日本を非難するだけではないメディア論調もある。鳩山首相は先のオランダ首相との会談で、「自分自身は鯨肉は大嫌い」と語ったそうだが、無意味な個人的嗜好論から離れ、国際政治は「友愛」だけでは片づかないことを肝に銘じるべきだ。日本の立場を主張する首相としての原点に立つことである。

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「 CO2温暖化説を疑い始めた英国 なぜ日本に検証の動きはないのか 」

『週刊ダイヤモンド』   2010年2月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 827



まだ暗いうちから起き出して少し空が明るくなる頃、ちょうど仕事に区切りがついた。障子を開けてみて驚いた。庭一面、雪で覆われている。急いで障子を全開にして、雪の舞い降りる様を眺めた。なんと静かで美しいことか。

今年2度目の雪である。サクラの花の頃まで、まだ幾度か降るのだろうか。

それにしても、今年の冬の寒さは厳しいような気がする。今年数え年で100歳になる母と同居しているために、なるべく家を暖かく保っているが、いちばん寒いのが私の書斎である。去年も一昨年も同じ条件のはずなのだが、今年の寒さは例年以上だと感ずる。ずっと座って何時間も仕事をする人間の、それが、体感である。

そんなとき、CO2削減や排出枠取引などの問題とはまったく別に、温暖化問題について考える。過日、ワシントンの大雪情報を報じながら、古舘伊知郎氏が「報道ステーション」で思わずこんなふうに言っていた。

「温暖化だというのにこの大雪、寒さ。私の頭の中も混乱しています」

氏は、温暖化問題というと、いくぶん声を低めにして深刻な表情をつくり、「CO2問題は待ったなしです」などと、警告を発してきた人物だ。氏の気持ちも想像出来ないわけではないが、私は思わず呟いた。「もう少し幅広く、情報をお取りなさいね」と。

世界各国の主な気象研究所のデータを拾ってみると、地球の気温はこの10年、上昇をやめている。というより、下降しているのだ。かといって地球は広く、地域によって大きな差があるために、私たちはなかなか、科学的な数字そのものを体感できるわけではない。たとえば大都市の居住者は、膨大なエネルギーを消費する町の熱の中で暮らしているために、気温の下降は実感できないだろう。けれど、考えるための材料の一つとして、主要研究所の観測データが気温の下降傾向を示しているという事実だけは、頭に入れておくのがよいだろう。

昨年11月に、英国のイースト・アングリア大学気候研究所ユニットのコンピュータにハッカーが侵入し、研究者間でやり取りされた膨大なメールがネットに流出した。メールは国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の研究者らが書いたもので、その中にCO2と気候変動を因果関係で結び付けるために、数字に「トリック」を使ったなどという内容のものがあった。

IPCCの報告書で、人類は早急にCO2削減に向けて対策を立てる必要があるなどの警告を発する側に立つ研究者らのメールにも、同様の内容が散見されたことから、国際社会はこの件で議論が沸騰した。欧米諸国では、この問題は議会で取り上げられもした。

メディアも「クライメートゲート」として大々的に伝え、IPCCの研究者たちが、温暖化はCO2が原因だと結論づけ、宣伝するために、科学をどこまで歪めたのかを検証した。

興味深いのは日本の反応だった。メディアの報道が非常に少ないのだ。古舘氏のニュース番組は、CO2問題について熱心であることから、膨大なメールの中にいったい何が書かれていたのかを、時間をかけて検証するのかと期待しないでもなかったが、番組で取り上げたとは私は寡聞にして知らない。

鳩山由紀夫首相も、国連で25%のCO2削減を国際社会に向けて公約した立場から、本当に温暖化とCO2には因果関係があるのか否かを、もっと真剣に研究してもよいはずである。

しかし、日本のどこを見ても、流出メールの検証をはじめ、CO2原因説に疑問を投げかけるまじめな議論は見当たらない。科学の目が、政治の目に圧倒されているのだ。CO2で極めて政治的な動きを展開してきた英国でさえも、CO2が温暖化の原因か否かを、疑い始めた今、日本こそ、もっと情報を大事にしなければならない。

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「 スリランカが守る鳩山援助隊 」

『週刊新潮』 2010年2月18日号
日本ルネッサンス 第399回


日本時間の1月13日にハイチで起きた地震は、総人口1,000万人の国に死者21万人強、被災者300万人強の被害をもたらした。90%以上の建物が崩壊し、首都ポルトープランスは壊滅した。あれから約ひと月、瓦礫の片づけははかどらず、医薬品も食糧も水も不足している。

地理的に見てハイチは米国の裏庭である。それだけにオバマ大統領は直ちに反応した。ハイチ問題についての、最初の演説でこう語っている。

「ハイチ問題最優先」で「米国の指導力」を発揮する。「神の恵み」の下で、「南の隣人たちと連携」する。「陸軍、海軍、海兵隊、コーストガード」を投入し、「米軍は24時間体制の」救出活動を行い、「政府は1億ドル(約90億円)を支出する」。

ハイチは数年前まで、激しい反政府武装勢力の活動で社会不安が続いていた。国連は04年に、PKO部隊、「国連ハイチ安定化派遣団」を送った。06年の選挙で新政府が発足し、ようやく治安が回復しつつあった矢先の地震だった。

このハイチに外交攻勢を強めたのが中国だ。中国は04年以降国連PKOに150人の警察部隊を派遣していた。今回の地震で中国部隊の幹部8人が死亡、中国政府は彼らを「英雄」として国葬で讃えた。

中国がハイチに力を入れる理由に、中南米における台湾の影響力排除があるのは明らかだ。現在、中国とハイチ間に国交はない。台湾と国交を維持する国は現在23ヵ国で、内12ヵ国が中南米に集中しており、ハイチはそのひとつなのだ。

もうひとつの理由は米国の裏庭に影響力を及ぼすことだ。中国の動きは素早く、中国軍の第一陣は地震発生から33時間でポルトープランスに到着した。米国、アイスランド、プエルトリコに続く早さだった。

日本はどうか。施政方針演説で声を限りに「いのち」と連呼した鳩山由紀夫首相は、ハイチの地震発生から約36時間後の1月14日夕方、記者団の質問を受けて、述べた。

「多くの人命が失われたこと、心からお悔やみを申し上げたい」

陸上自衛隊の国際緊急医療援助隊(国緊隊)が派遣されたのは地震発生から9日目の1月21日だった。彼らは23日に現地入りし、医療活動を開始した。


サマーワと同じ構図


自然災害時の援助では、何よりも即応することが大事である。だが、被害国の状況によっては、医療活動といっても危険が伴う。ハイチの場合、元々の社会構造の不安定に加えて、食糧や水不足による不安と不満が募り、国連援助隊が住民に襲われるケースも多発した。逃げきれず、国連側が催涙スプレーをかけたケースさえある。医療隊といえども、身を守る武器携行が必要である。

今回、国緊隊の派遣に関して政府決定が遅れたのは、まさに隊員の「いのち」をどう守るのかについて、判断出来なかったからだ。関連法は国緊隊の武器携行を禁じている。かといって、ハイチでは国連PKO活動が続いていたのである。それは紛争が続いていることを意味する。刻々と入ってくる情報も、ハイチの社会不安と危険性について警告するものばかりである。そのような地域へ自衛隊を丸腰で派遣して、隊員の安全を担保出来るのか。その見極めに時間がかかり、9日がすぎたのだ。

安全確保に目処がついたからこそ、派遣に踏み切ったわけだが、具体的にはどういうことだったのか。国緊隊の約100名は、首都から西方約40キロの町、レオガンの、エピスコパル大学の敷地に診療施設を設営し、すでに千数百名の患者を手当した。

その彼らの安全を守るのはスリランカ軍である。エピスコパル大の設営場所から1.5キロ先に、国連のスリランカ軍2個中隊が設営しており、国緊隊に危険が及ぶような場合、目と鼻の先から救援に駆けつけてくれるという想定なのだ。国緊隊の設営場所は、スリランカ軍との距離の近さもあって決定されたといえる。

そのことを知って思わず嘆息するのは私だけではあるまい。イラクのサマーワで活動したとき、自衛隊の安全を英国軍やオランダ軍に守ってもらったのと同じ構図である。だが、スリランカの人口は2,000万人強、およそすべての面でわが国よりはるかに小国だ。その小国に、日本を守る負担をお願いしなければならないのだ。スリランカの人々に感謝しつつも、このような体制からは一日も早く脱しなければならない。

日本が国緊隊を派遣した1月21日、国連は軍事部門で2,000名、警察部門で1,500名のPKOの派遣を諸国に要請、日本政府は応えて、2月5日に自衛隊員350名の派遣を閣議決定し、一次隊の6日の派遣にこぎつけた。護身用の武器として、拳銃、小銃、機関銃も携行を許された。自衛隊のPKO部隊は避難民収容施設の用地造成や瓦礫の撤去、道路整備などを担当するという。

鳩山首相はこの展開について、「2週間という(短時間で)PKO派遣を決めることが出来た。今までになかったことで、感慨無量の思いがございます」と語っている。


自衛隊派遣の恒久法を


たしかに従来のPKO派遣に要した数ヵ月単位の時間に比較すれば、今回の派遣はかなり早い。理由は大別して2つある。

ひとつは防衛大臣直属部隊としての中央即応集団が07年3月、自民党政権のときに創設されていた点だ。中央即応集団は陸上自衛隊朝霞駐屯地に本部を置き、約4,000名の隊員で構成する。目的は「国際平和協力活動や国内の各種事態への即応」だ。すぐ任務に飛び出せるように、あらかじめ種々の予防接種を受けている。全員のパスポートは金庫に保管され、装備も整えられている。同集団創設以前は、隊員への予防接種だけで月単位の時間がかかっていた。

別の理由は、与党となった社民党が日本国の責任を認識し現実路線を選んだせいか、自衛隊のPKO派遣に反対しなかったことだ。野党の自民党も無論、反対しなかった。

自衛隊のPKO部隊の派遣に米国は好意的である。「米国の裏庭」で進む中国の影響力拡大の動きに当然、彼らは苦々しさを覚えているであろう。そこに価値観を共有する同盟国として、本来、協力が期待されている日本がかつてない早さで援助に入ったのだ。インド洋からの撤退や普天間飛行場移設での迷走が、これで帳消しにはならないが、鳩山政権への否定的見方を幾分緩和する材料にはなるだろう。

それにしても、この機会に鳩山政権が手をつけるべきことがある。自衛隊のPKO派遣をその度毎に決め、常に行動が遅れて評価されない現行制度から脱却して、今回のように素早い対応を可能にする自衛隊派遣の恒久法を制定することだ。自民党に異論があるはずはない。外交・防衛で一致協力するよい機会である。

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「 米国から手痛い“しっぺ返し” 鳩山外交では日本は持たない 」

『週刊ダイヤモンド』   2010年1月30日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 823



鳩山政権下で日米関係はきしみ続け、日米安全保障条約改定調印から50周年の記念日の1月19日、日米両政府が合同で主催する記念式典はおろか、声明の合同発表さえも危ぶまれていた。


実際には、両国の外相と防衛相、計4人の連名で「日米安保50年 共同声明」が発表された。内容は、「日米安保体制は、引き続き日本の安全とともに、アジア・太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠な役割を果たしていく」「日米同盟は、すべての東アジア諸国の発展・繁栄のもととなった平和と安定を東アジアに提供している」と、日米安保条約を高く評価するものだった。

だが、日本側がひと安心するのは早いだろう。米国は、日米安保体制の「深化」に同意はしたが、具体策は話し合われていない。他方、米国が日本抜きでアジア諸国との絆を深める動きが進行中である。そして、その動きについて、米国は日本にひと言も語っていない。

今年1月12日、岡田克也外相はホノルルでヒラリー・クリントン国務長官と会談した。岡田外相が切望して実現したこの外相会談で話し合われたのは、もっぱら普天間飛行場移設問題だった。長官は過去の日米合意を守るよう日本側に要請することに終始した。

注目すべきは、外相会談のあと、同じ日に、ハワイ大学の東西文化センターで行った長官のスピーチである。「アジア地域連合の構築について、その原則と優先度」というタイトルだ。

読んで、少なからず驚いた。長官はこう語っている。「アジア・太平洋諸国との絆は米国の優先課題である」「オバマ大統領はアジア諸国とアジアの人びとを高く評価し敬意を抱いている。2011年には、米・アセアン会議を、このホノルルで開催したいと、大統領は考えておられるだろう」。

ここで聴衆から大きな拍手がわいたのは当然だ。しかし、その場に居合わせた日本政府関係者は愕然としたことだろう。なぜなら、来年、米国がアセアンとの会議を開催するなどとは、直前に行われた岡田外相との会談では、ひと言もなかったからだ。

長官はさらに語った。米国がアジア・太平洋諸国との関係を再活性化するべく準備を始めたのは、昨年の1月のことだったと。さらに長官は、オバマ大統領がアジア歴訪の折、米国は初めての米・アセアンサミットをすでに開催した、アジアに強力な軍事力を維持し続けることをグアム国際会議で表明した、米国はアセアン諸国と友好協力協定を締結ずみである、オバマ大統領夫妻が迎えた最初の国賓はインドのシン首相であるなどと、強調した。

「米国の未来はアジア・太平洋地域の未来とつながっており、同地域の未来は米国に依拠している」と長官は断じ、同地域への明確なコミットを宣言した。

しかし、前述したようにこの点について、米国政府は、日本に事前に知らせることも、いわんや、日本に参加を要請することもなかった。これこそ、鳩山外交への強烈なしっぺ返しである。

昨年9月23日、鳩山由紀夫首相はニューヨークでオバマ大統領と会談し、その直後、国連演説に臨んだ。首相は、CO2 25%削減案のほかに、東アジア共同体の構築についても提唱した。

寝耳に水の米国側は驚いた。国務省は日本外務省にその種の重要な外交政策を発表するのであれば、事前に同盟国に説明があってしかるべきだと、抗議したそうだ。

今回、米国は、日本がしたことを、そっくりそのまま、日本にして返した。不快感を見せつけたのだ。

米国は言葉どおりの外交政策を進めるだろう。中国の脅威に晒されるアセアン諸国にとって、米国のコミットは歓迎以外の何物でもないはずだ。孤立するのは日本である。鳩山外交では、日本は持たないということだ。

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「 CO2地球温暖化説を推進するIPCCや鳩山政権の活動への疑問 」

『週刊ダイヤモンド』   2009年12月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 816



英国のイーストアングリア大学は、地球環境研究の最前線を行く大学の一つである。権威あるこの大学の気候変動研究所のコンピュータがハッキングされ、eメールの記録が流出、十数年間にわたるメールの往来が一挙に世界中に暴露された。そこに登場するのは、気候変動の分野で刮目されている学者・研究者らである。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の有力メンバーである彼らは、人間が排出するCO2(二酸化炭素)によって地球の温暖化が進んでいるというIPCC報告を科学的に理論づけた人びとだ。

ところが、そうした表向きの発表とは裏腹に、私的なメールのやりとりでは、「事実は、われわれは現在、温暖化現象の欠落について(lack of warming)説明出来ないということだ。まるでパロディだよ」(ケビン・トレンバース氏、国立大気圏研究所)などと会話していた。温暖化を警告した彼らが、地球は温暖化していないと、私的会話で認め合っているのだ。

このニュースは、「ニューヨークタイムズ(NYT)」紙、「ワシントンポスト(WP)」紙なども報じ、現在ネットに情報が飛び交っている。

膨大な量の流出メールには次のようなくだりもあった。イーストアングリア大学で長年、地球気候を研究してきたフィル・ジョーンズ氏が、過去200年間の気候変動を示す図を作成するに当たって送ったメールである。

「作業を完了したばかりだ。(地球気温の)降下を隠すために、1961年以降の記録についてはケイスのトリックを、81年以降の記録についてはマイクのトリックを使って、それぞれ本当の(real)気温に上乗せした」

メールの送り先は、ペンシルベニア州立大学のマイク・マン教授らである。マン教授は、NYT紙の取材を受けて、メールが本物だと認めた。そのうえで、ジョーンズ氏の語彙の選択はまずかったが、科学者はトリックという言葉を問題解決の妙案を示す言葉として用いることがよくあると弁明した。

流出メールからは、IPCCのそうそうたる研究者らが、温暖化に疑問を抱く研究者らに「悪意に満ちた感情」(WP紙)を抱き、彼らの研究論文を専門学術誌に掲載させないように圧力を加え、学界やメディアから排除すべく画策したことも明らかになった。温暖化問題は、科学の本質から遠く離れてしまっていると疑問を提起する科学者の声はこうして封じ込められてきた。

省エネやCO2削減自体には諸手を挙げて賛成しても、CO2削減をめぐる欧州、とりわけ英国、そして米国や中国などの動きに十分に警戒しなければならないゆえんである。諸国の思惑は、いかにして自国に有利なCO2削減の枠組みをつくり、省エネ先進国日本から技術も資金も吸い上げようかという点にあることを忘れてはならない。


こんな折、鳩山内閣はCO2削減が経済に与える影響の試算について、専門家会合(タスクフォース)のメンバーを「鳩山政権のやりたいことを本当に応援してくれる」人びとに置き換える方針だと、11月25日付の「朝日新聞」が一面トップで伝えた。

麻生太郎前政権下の試算では、(鳩山氏の)25%案の家計負担は1年間22万~77万円の範囲となった。鳩山内閣はこの数字を不満とし、タスクフォースをつくり、民主党独自の試算をさせた。11月19日の中間報告で、結果は13万~76.5万円の家計負担とされたと、「朝日」は報じている。ほとんど変わらない負担額だったわけだ。そこで民主党は、メンバーを選び直して、再試算をする方針だというのだ。これではあまりにも恣意的ではないか。なにがなんでも自分たちの掲げた25%案を正当化するということか。流出メールとともに、現在の温暖化対策に疑問を抱かざるを得ないのである。

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「 日米首脳は中国に対して現実よりも理想を見がちだ 」

『週刊ダイヤモンド』   2009年11月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 813



21世紀の残りの90年間、日本人の運命は台頭した中国の脅威をどうかわすかによって決まる。大事なことは、日本がその脅威を認識し、備えることである。

明らかに鳩山政権には、中国の脅威への認識が欠けている。そこから生まれてきたのが「東シナ海を友好の海にする」「東アジア共同体をつくる」などの発想だ。理想のなかで現実を見失っている鳩山由紀夫首相の対中外交は、米国のオバマ大統領の、これまた理想外交と重なって、負の相乗効果を生み出していきかねない。

たとえば、オバマ大統領が提唱した「核のない世界」への道である。大統領は、(1)戦略核兵器の配備数をこれまでの千単位から百単位に削減、(2)戦略核の予想使用範囲を狭め、(3)将来の核の信頼性確保のための実験や新たな開発を行わない、を打ち出した。

核の力による抑止効果を担保するという従来の戦略から、超大国の米国が率先垂範して大胆な軍縮を断行することで、地球上の核拡散を阻止する戦略への転換である。

ミリバンド英国外相が語ったように、オバマ戦略がうまくいけば、「地球社会の安全性は高まり、核のない世界が実現し、地球温暖化の前に、人類は(原子力発電という)安全かつ信頼性の高いエネルギー源を確保しやすくなる」。しかし、失敗すれば、「人類は核拡散と、テロリストが核兵器を手にするという背筋の寒くなる現実に向き合わなければならなくなる」。

事実、米国もロシアもヨーロッパ諸国も、イランの核開発を止めることはいまだ、できていない。また、オバマ大統領はロシアには核軍縮を呼びかけたが、中国の核については取り立てて発言していない。

米国大統領もまた、日本の首相同様、中国に対しては現実よりも理想を見がちだと言わざるをえない。核軍縮はしかし、現実の国際政治のなかでどのように進展するのかは、見通しが立っていないのであるから、今、中国の核兵器に言及しないからといって、ただちに影響が出るわけではない。大統領自身、核軍縮も核のない世界の実現も、遠い遠い目標だと認めている。それだけに、中国の核について言及しないことは、中国の経済協力を死活的に必要とする米国の、不必要な摩擦を避けるという意味での戦略でもあろう。

だが、次世代戦闘機F22ラプターの生産中止と対日輸出の拒否は、あと10年、15年のうちに深刻な影響を及ぼしかねないきわめて現実的な問題だ。

第五世代の戦闘機F22は、中国が開発中の彼らの第五世代の戦闘機に対処出来る唯一の現存する戦闘機である。米国は日本に、いつ開発が終わり実戦配備出来るのか未定のF35を薦めるが、その間に、中国は第五世代の戦闘機とともに、現在保有している第四世代の戦闘機の改良型を作りつつある。第四世代と第五世代の中間タイプである。

中間タイプが完成すれば、日本は完全に中国に制空権を握られ、日本の安全保障は危機に直面する。日本が自らの安全のために取りうる措置として、米国の核抑止力をより確かなものにするか、究極的に日本自身の顕著な軍事力の整備に踏み込むことが考えられる。この点は、国内議論を重ねなければならないが、懸念すべきは、なぜ、オバマ大統領がF22の生産中止、対日輸出拒否という結論を出したかである。

ゲーツ国防長官は今年7月、こう述べている。

「2020年までに米国空軍は約1,100機のF22およびF35を備え、最強の空軍であり続ける。対照的に中国は20年にはいまだ第五世代戦闘機の開発に至らず、米中の軍事力の差は現在よりも拡大すると予測される」

こうした見通しが大統領の軍縮およびF22生産中止を後押ししたと見られる。私には、日米両国が中国の脅威を過小評価している気がしてならない。

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プロフィール

櫻井よしこ Yoshiko Sakurai

職歴

1971~74
クリスチャンサイエンスモニター紙
東京支局勤務
1975~77
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  記者
1978~82
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  東京支局長
1980~96
TVニュースキャスター
1980~現在
ジャーナリスト

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